09 著作権法

October 14, 2009

「アーユルチェアー」と「MBTシューズ」と、「弁護士」【松井】

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 またしても法律、弁護士業とは直に関係はない話なのですが、でも、弁護士の方や座り業の方には関係ある話しです。
 東京の会社のトレイン社と何の縁もゆかりもないのですが、その製品、アーユルチェアーに関して愛用者ということでその愛を語らせて頂きました。
 
 
http://www.ayur-chair.com/voice/


 腰痛に悩む方、長時間のパソコン仕事をしているけど、今の椅子に満足されていない方、ぜひアーユルチェアーを試用してみてください。
 これまでの靴とはまったく違う靴「MBTシューズ」と同様に、それまでとの「違い」が分かるはずです。
 
 商品一つをとってみても、その「特徴」、他との「違い」って大事ですね。
 

 「大橋弁護士」と「松井弁護士」の「弁護士」としての「違い」って何だろうかということをふと考えたのですが、「違い」を探すよりもむしろ「同じ」部分を探す方が難しいというくらいに違うのではないか!?(笑)。

 その「靴」や「椅子」を他の靴や椅子と比べるのと同様、「弁護士」も他の弁護士とどこがどう違うのか、特徴は何かを比べるのは利用者としては大事な視点だと思います。
 「賢い消費者に」というフレーズがありますが、これは弁護士利用者にも当てはまるかと!!

 この「違い」に気づくのは、靴なら実際に履いてみないと分からないし、椅子なら実際に座ってみないと分からない。
 弁護士もたぶん、「靴」や「椅子」と同様、お試しされて比べられる時代なのだと思っています。

 知人に紹介されたからといって、その弁護士が唯一の弁護士などという発想は利用者にはなくって、「違和感」を感じたら、別の弁護士を捜して「試してみる」という時代なのだと思います。

 
 「弁護士」としては、辛いといえば辛い立場ではありますが、利用者のことを考えたらそれが正しい姿だと思います。
 「弁護士」としての自分をアーユルチェアーやMBTシューズのように磨き続けるしかありません。
 
 正直なところ、改善点はいっぱいあります!改善箇所の発見は、やはりあるべき理想との「比較」しかないかと。


 先日、今年の新司法試験に合格した修習開始前の方が一日、弁護士って実際はどんなもん?という趣旨で一日、事務所で密着様子をみるという企画で、一人、うちの事務所に合格者の方が来られていました。
 具体的な話を聞きたいというので、「具体的」な話をいろいろとしました。
 人に自分の仕事の話をしながら、口に出して言葉にしていて思ったのは、頭で考えていることでも他人に言葉にして語りかけると客観性をもち、改めて自分で喋りながら、なるほど!と気づくことがあるという利点が自分にもあるということです。
 
 で、思ったのは。大事なのは、「共感力」だな、と。
 世の中、こんな自分の従前の価値感からは理解できないことがあるんだ!?ということに出くわしたとき、相談に来られた方の心の声にまず共感できるだけの「幅」が自分にあるかどうか。
 これがないと、せっかく相談に来られた方も、なんだ弁護士って、こんな程度のもんかと意気消沈して帰ってしまわれると思います。
 共感できないと、そもそも始まりません。
 そういうこともあるかも、こういうこともあるかも、という柔軟な頭、価値観が要るなと改めて思った次第です。
 

 今回の「アーユルチェアー」の取材に際しても、記事の中にあるように私の方がいろいろと開発秘話のようなものを聞かせていただきました。
 取材に東京から現れたお二人の美しい女性スタッフ。
 この方々が、開発担当だったということでまず驚きました。
 え!? 椅子なんてものをデザインする担当の方にはまったく見えません。
 お聞きしたら、会社でも「椅子」を商品として作り出して売り出したことは過去になかったとのこと。
 でも、椅子はこうあるべきなのではないか、こういう椅子があったらきっと快適なのではないかという「理想像」があったということです。
 そしてその「理想の椅子」は、従来の既成の椅子のメーカーの椅子の概念とは全く異なるものであった。
 「椅子」を作っていなかったからこそ、既成「椅子」にこだわらない、「理想」にたどり着けたのではないかといった弁でした。
 「椅子はこうあるべき」という枠に囚われずに自由に発想する力、発想した力を実現する力。
 
 弁護士にも必要な「力」だと思います。

 問題は実現する力なんですよね。。。
 アーユルチェアーに座り、MBTシューズで歩き回って、がんばります。

(おわり)
 ↓ shiologyのshioさんぽい写真(笑) まず真似から。
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April 24, 2009

ぱくったな、くらえ3連発!~真似って絶対駄目なの?~【松井】

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 「ぱくる」って、真似するということですが、真似しやがったな!というときによく出てくる法律上の根拠が3つあります。
 商標法、不正競争防止法、著作権法の3つです。


 毎月1回、親しい弁護士ら数名で判例勉強会を実施しているのですが、そこで取り上げられていた判例時報に掲載されいてた裁判例です(判例時報09/03/21号)。
 仙台地方裁判所平成19年10月2日判決。
 確定しているようです。
 仙台地裁。仙台といえば、「福の神~仙台四郎」です。
 私は知らなかったのですが、知っている人は知っている実在の有名人、仙台四郎さん。明治、大正のころ、彼が訪れた商店は繁盛するというのでその昔、仙台地方で「福の神」と言われていた人らしいです。で、彼の写真が一枚、歴史上、残っていて、それらが彼の死後もブロマイドのように商売繁盛の品として流通していたらしいです。

 裁判は、この仙台四郎さんを当て込んだ商品を開発製造販売した企業が、同じようなことを始めた企業を訴えたという事件でした。
 「ぱくったな、3連発」で商標法、不正競争防止法、著作権法をそれぞれ根拠として主張し、2000万円の損害賠償請求を求めました。
 が、しかし。
 すべて認められず、完全敗訴。控訴することなく、確定したようです。
 なぜ認められなかったのか。
 
 中小企業で、モノづくりの企画をし、開発、研究して、製造、販売した場合、その苦労にあとからただのりしてくるような「ぱくりや」さんは許せないと思うのはもっともだと思います。真似すんな!といいたいところだと思います。
 そこで、「ぱくったな、3連発」が検討されるのですが、これが結構、ちゃんと検討しないと無駄打ちになることもあるということです。
 09/04/21号の判例時報では、サントリー社の「黒烏龍茶」を巡っての訴訟の裁判例も掲載されていました。これもサントリーの主張がすべて認められたわけではないようです。
 問題なのは、どこでどう違法な「ぱくり」とそうでない「ぱくり」を見分けるのか、あるいは逃げ切るのか、だと思います。


 仙台四郎判決は、商標権侵害については次のように判示しました。

 

被告会社らによる本件被告標章の使用は、出所表示機能ないし自他商品識別機能を果たしていない態様で使用されている場合に当たると認めるのが相当であり、本件標章を侵害しているとは認められない。

 その前提としての法解釈としては次のように判示しています。
 

商標法は、商標とは、文字、図形、記号若しくは立体的形状若しくはこれらの結合又はこれらと色彩との結合(標章)であって、業として商品を生産し、証明し、又は譲渡する者がその商品について使用するもの若しくは業として役務を提供し、又は証明する者がその役務について使用するものをいうと定義する(同法2条1項)。

 
一方で、商品又は役務の普通名称を普通に用いられる方法で表示する標章のみからなる商標など、需要者が何人かの業務に係る商品又は役務であることを認識することが出来ない商標については商標登録を認めないものとし(同法3条)、その上で商標権者は指定商品又は指摘役務について登録商標の使用をする権利を専有するものとし(同法25条)、商標権者に対し、商標権に対する侵害行為の差止め等の権利を認めている(同法36条)。

 
 
このような規定の仕方に鑑みると、商標法は、同法2条1項で定義される商標のうち、需要者が何人かの業務に係る商品又は役務であることを認識することができる商標、すなわち商品の出所を表示する機能(以下「出所表示機能」という。)及び自他商品を識別する機能(以下、「自他商品識別機能」という。)を有する商標のみを権利として保護しているものと解される。

 

したがって、商標権者以外の第三者が登録商標と同一又は類似の商標をしようしている場合においても、それが商品の出所を表示し、自他商品を識別する標章としての機能を果たしていない態様で使用されている場合には、これが商標権の侵害に当たるということはできない(同法26条1項参照)

 仙台四郎さんという実物の人物の出回っている有名な写真をもとに商品化されたものという特殊性について、出所表示機能と自他商品識別機能という用語を使ってうまく解決した事例ではないかと思います。


 不正競争防止法違反についても次のように判示します。
 
 

被告会社らによる本件被告標章の使用は、商品の出所を表示し、自他商品を識別する標章としての機能を果たしていない態様で使用されていると認めるのが相当であるから、かかる使用行為は、同項1号又は同項2号が規定する不正競争行為に該当するとは認められない。

 その理由としては、次のように判示します。
 

不正競争防止法2条1項1号は、「他人の商品等表示・・・として需要者の間に広く認識されているものと同一若しくは類似の商品等表示を使用」するなどして「他人の商品又は営業と混同を生じさせる行為」を不正競争行為に当たるものと規定するところ、その趣旨は、人の業務に係る商品等表示について、同表示の持つ標識としての機能、すなわち出所表示機能及び自他商品識別機能並びにその商品等表示が有する顧客吸引力を保護し、もって事業者間の公正な競争を確保するところにあると解される。

 
また、同2号は、「自己の商品等表示として他人の著名な商品等表示と同一若しくは類似のものを使用」すること等の行為を不正競争行為として規定するところ、その趣旨は、著名な商品等表示について、その顧客吸引力を利用するただ乗りを防止するとともに、その出所表示機能及び自他商品識別機能が希釈化されることを防止するところにあると解される。

 
 
上記各規定の趣旨に鑑みると、同項1号及び同項2号が規定する不正競争行為に該当するためには、単に他人の周知又は著名な商品等表示と同一若しくは類似の表示を商品に付しているというだけでは足りず、それが商品の出所を表示し、自他商品を識別する機能を果たす態様で使用されていることを要するものというべきであり、商品等表示が上記のような機能を果たす態様で使用されていない場合には、同項1号又は同項2号が規定する不正競争行為に該当するとは認められないものと解するのが相当である。

 
このことは、同法19条1項1号が、商品の普通名称又は同一若しくは類似の商品について慣用されている商品等表示を普通に用いられる方法で使用する行為については、同法2条1項1号及び2号の規定の適用を除外していることからも明らかというべきである。

 
 条文の規定の仕方、その趣旨から、限定的な解釈を施し、要件を定立し、事案のあてはめをしています。


 そして、著作権法侵害の主張に対しては。

 

本件原告商品は、著作権法の保護の対象である著作物に当たるとは認め難い。

 
 
本件原告商品は、いずれにも創作性を欠くものというべきであって、著作物に当たるとは認め難い。

 
 とにべもない判断をしています。

 曰く、
 

著作権法は、2条1項1号において「思想又は感情を創作的に表現したものであって、文芸、学術、美術又は音楽の範囲に属するもの」を著作物と定義し、同法10条において「絵画、版画、彫刻その他の美術の著作物」を著作物の例示として挙げている(1項4号)一方で、同法2条2項において「美術の著作物」には「美術工芸品を含むものとする。」と規定していること及び意匠法等の知的財産権制度の存在に照らすと、美的創作物のうち、実用に供され又は産業上利用されることを目的とする応用美術については、専ら鑑賞を目的する純粋美術とは異なり、著作権法上は原則としてその保護の対象とはならず、例外的に純粋美術と同視できる程度に美術鑑賞の対象となりうる程度の美的特性を備えている場合に限り、その保護の対象となるものと解すべきである。

 そして、商品に対しては、
 

本件原告商品が有する上記特性に鑑みると、それが独立して美的鑑賞の対象となる美的特性を備えているとは認め難い。

 
本件原告商品のうち、仙台四郎の容姿を表現した部分又は本件商標部分以外の部分は、いずれも同種商品においてはありふれた形状、図柄等の表現方法というべきものであって、原告の個性が表現されているものとは認め難い


 原告企業は、「パクったな!」と思い、2000万円の損害賠償請求等をし、その根拠として、
 商標法、不正競争防止法、著作権法
 と使えそうなものは全部使ったけど、裁判所は、結局、どの理由も認めませんでした。
  
 福の神 仙台四郎。
 
 そもそもがあまりにも有名すぎて、原告だけがこの有名性を排他的に利用できるような結論はおかしいのではないかというのが根本だったのではないかと思います。
 数年前、企業の破綻の可能性について、あまりに大きな企業だと「大きすぎて潰せない」という言い方がされることがありましたが、仙台四郎については、有名すぎて独占できない、というだったんだと思います。
 というか、仙台の方では、実在人物仙台四郎さんの相続人など利害関係者も特に見当たらず、普通名詞のようになっていたということなんだろうと思います。
 原告企業が費やした、弁護士費用、訴訟のための労力を思うと胸が痛みます。

(おわり)

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January 24, 2009

法律の面白さ〜著作権法の目的〜【松井】

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*刑法の主観説と客観説の対立の中で。「だったらそれは、『目を瞑れば世界は消える』というのと同じだ!」みたいな批判の有名なフレーズがありました。法律論って面白い。


 勝手にわたしの心の師匠とさせてもらっている、shioさんこと塩澤一洋教授(成蹊大学)が書かれた論説「公表支援のフレームワークとしての著作権法の意義」(成蹊法学第68・69合併号)を読みました。
 頭の中に手を突っ込まれ、脳みそをグラグラと揺すられているかのような知的興奮を久々に味わいました。
 やっぱり法律って面白い!


 最近、以前の記事で触れた税理士の方々がメインのMLに入れていただいているおかげで、「弁護士」が世間一般でどのような位置づけなのか(何にでも噛み付く狂犬?)ということがおぼろげながら分かってきたような気がしているなかで、「法律って面白い!」、「法律って楽しい!」などと感じる自分を自覚すると、やっぱり奇人変人の類なのだろうかと憂鬱にもなるのですが。
 でも。
  法律って、楽しいっ!
  法律を使って考えるって、面白い!
 と表現せざるをえません。しかもこの面白い事柄を仕事として使って、人の役に立って、お金がもらえる。素晴らしい、の一言です。
 まあ、実際は、働いていると、純粋な法律の解釈論が問題、争点になるってことはあまりなく、建前、利害、無謬性、感情のせめぎ合い、実利など諸々の要素で紛争が成り立っていて、法律論、判例を振りかざしてズバッと解決!ということにはなりにくいのが辛いところではあるのですが。そういうところはジッと我慢して、相手の方、担当者の方の言い分にジッと耳を傾け、妥協点を探り出そうとします。


 そんな日常の中。
 塩澤一洋先生、「公表支援のフレームワークとしての著作権法の意義」。

 著作権法の目的から著作権法の意義を導き出すとどうなるか、それもその意義とは、「創作のインセンティヴ」ではなく、「公表支援としてのフレームワーク」ではないのかという位置づけでもって、改めて著作権法、さらには憲法を視野にいれて、もう一度「著作権法」を見直す、という意欲的な論文です。
 「『著作権が得られるから創作する』という著作者は少なかろうが、『著作権があるから安心して公表する』という著作者の心理は働くように思うのだ。」(262頁)。
 
 「文化的所産を多様化させていく動的な循環システムとして著作権法を捉え、そのシステムにおける『要点』としての意義を『著作物の公表』に見いだし、『著作物の公表』が著作権法システムの循環を進めると把握したうえで、著作物の公表を支援する装置として機能する著作権法の姿を描こうとするものである。」(240頁)、この論文。
 著作権法に興味のある方は、必読ではないかと思います。


 司法試験受験生の当時、まだ出版されたばかりでありながら、新しい刑法の流れを作ると一部では注目されていた前田雅英教授の「刑法総論」と「刑法各論」。
 オーソドックスに行くのが王道とされた受験道のなか、新しいもの好きのわたしはつい、前田刑法を読んでしまいました。
 そして。
 打ち震えるような感動を覚え、異端説、少数説と言われた前田刑法を勉強し続け、「前田説」で論文答案を書き続けました。
 I love Maeda Keihou! でした。
 総論として一貫した価値観が打ち立てられ、その価値観をうつしこんだ基準を立て、それでもって各論も美しく解決していく前田刑法。
 
 前田刑法に感じたときのような、理論の美しさを感じました。
 塩澤一洋先生「公表支援としてのフレームワーク」

 少数異端説だった前田刑法は、その後、やがて王道となり、数年後、前田先生は刑法の司法試験委員にまでなりました。
 

 わたしが司法試験に最終合格した年、1996年、10月の口述式試験の刑法の試験委員は、あの憧れの前田先生でした。

 目の前にあの前田先生が!!
 はやる心、繰り出される刑法の事例とそれに対する質問!
 ???
 意味が分かりません。でも。沈黙は大減点です。
 口からでまかせに適当なことを喋ります。
 目の前の前田先生の顔が曇ります。
 ああ、わたしはここで落ちるのか!?
 助け舟らしき質問がさらに繰り出されます。
 ええっい!
 前田先生だけが使用される、呪文のような基準、合い言葉。
 「通常一般人なら当該犯罪類型についての違法性を意識しうる事実の認識」

 呪文のように、質問に対する回答の言葉に何度も、何度も散りばめました。
 わたしは、前田先生、あなたの本を読んで、あなた一筋で刑法を勉強しました!
 必死のアピールです。そんなわたしをあなたは落とすのですか!?

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 この年、なんとか口述式試験も落ちることなく、無事に最終合格できました。
 この粘り強さが仕事にも生きています。きっと。全てにおいて、必死です。粘ります。
 そんな思い出の「前田刑法」。

 前田刑法のことを思い出しながら、塩澤一洋先生の論文を読みました。
 この論文も、やがて、「塩澤著作権」と言われるような新しい流れの最初の一石になるような気がします。
 汚い法律ももちろんありますが。でも。法律って、美しい。崇高な理念を感じさせてくれます。
 憲法に感動する気持ちと、同じです。著作権法に感動、塩澤著作権法に感動。
 こんな感動を与えてもらったことに感謝。ありがとうございます、塩澤先生。

(おわり)

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December 20, 2007

「文化庁のミス確定」~文化庁は立法者じゃないもんね、確かに~【松井】

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 19日の日経朝刊。
 「『シェーン』著作権消滅 
  53年映画 文化庁のミス確定」
 という見出しです。


2 
 「文化庁のミス」って、なんて揶揄した表現なんだと驚きましたが、実際の最高裁の判決を読んでみて、納得。

 上告人らの主張、「本件改正法の成立に当たり、昭和28年に公表された映画の著作物の保護期間の延長を意図する立法者意思が存したことは明らかであるとして、この立法者意思に沿った解釈をすべきである」という主張に対しての最高裁判所の答え。

 「法案の提出準備作業を担った文化庁の担当者において、映画の著作物の保護期間が延長される対象にしょうわ28年に公表された作品が含まれるものと想定していたというにすぎないのであるから、これをもって上告人らの主張するような立法者意思が明白であるとすることはできない。」

 それはそうだ。「文化庁の担当者」は所詮、「文化庁の担当者」であって、「立法者」ではない以上、「立法者意思で」とはいえない。
 立法者意思はどういったかたちで認められるかというと、本件では、「立法者意思が、国会審議や付帯決議等によって明らかにされたということはできず」として、明白な立法者意思は認められないとされています。
 
 これじゃあ、確かに、「文化庁のミス」、確定との見出しがつくはと納得。きついね、最高裁。



 この文化庁のミスはいつの出来事かというと、なんとほんの数年前の平成15年6月12日に成立した著作権法の改正について。
 
 経過措置規定の文言の解釈をめぐって争われた今回の訴訟。

 改正法付則2条
 「改正後の著作権法・・・第54条第1項の規定は、この法律の施行の際現に改正前の著作権法による著作権が存する映画の著作物について適用し、この法律の施行の際現に改正前の著作権法による著作権が消滅している映画の著作物については、なお従前の例による」と規定されていました。
 この「この法律の施行の際現に」がいつを現すのか。
 そりゃ、通常、「この法律の施行の日において」と解するでしょう。
 この点を、「当該法律の施行の直前の状態を指すものと解すべき」というのはやはりかなり強引。
 文言を起案した担当者や、チェックの方々は気づかなかったんだろうか・・・。
 文化庁・・・。

 日経の記事では次のように書かれています。
 「パラマウント社側は、『改正法が施行された0四年一月一日午前零時と、著作権が満了する前年十二月三十一日午後十二時は同時刻で、著作権は存続する』との文化庁著作権課の見解に基づき、権利主張していた。」
 
 最高裁判決でたまに見かけるパターン。
 法解釈について、行政庁の見解に依拠し、負けるパターン。特定商取引法に関するNOVA判決もそうだよ・・・。行政庁が、法的にオッケーだといっても、完全には信用できない。裁判所がどういいうかを考えないと・・・。



 ロビー活動の結果、映画の著作権の保護期間の延長のため、法改正となったんだろうけど、さすがにこのミスについて国賠は難しいだろう。うがった見方をすれば、もしかしたら改正に反対する職員がわざと???そんなわけ、ないか。

 「シェーン」。50年間も保護されたんだから、映画としていくら莫大な費用が注ぎ込まれているとはいえ、もう十分、もとはとれて十分ではないのか。70年も保護する必要、あるのか。

(おわり)

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August 04, 2007

「楽しさ増幅装置」【松井】


 愚痴みたいなことばかり書いていても気分が暗くなるだけなのでと、最近、読んでいて、うんうん、法律ってそうだよね、と明るい気分になる記事を見かけたのでそのことについて。法律が万能じゃないんだよ、当たり前のことだけど。


2 
 著作権法を専門とする塩澤一洋教授のエッセイです。掲載紙は、「マック・ピープル」9月号。ちなみに私はマック使いではありません。なのになぜ「マック・ピープル」を買っているのか。バーチャル・マック・ユーザーです。

 エッセイは、「Creating Reed, Creating Mass」というタイトルで、マックは「楽しさ増幅装置」と評しています。

 続いて、著作権法に触れ、このように定義づけています。
 「著作権法はその究極の目的を、『文化の発展』に据えている(第1条)。すなわち、人々の創作を尊重し、多用な作品が生み出されることによって、豊かな文化が育まれることを願う法律なのだ。」

 「願う法律」という点、そもそも法律は、人の血肉の結晶として国会で成立したものであることを思い出させます。空から勝手に振ってきて嫌々従わされている、それが法律というわけではありません。皆、何らかの「願い」(立法趣旨)があってこの世に誕生しています。
 
 著作権法の役割として、「鑑賞と創作のサイクルを鈍らせることがあってはならないと同時に、そのサイクルを回すチカラとなることもない。期待されているのは文化を発展させるためのインフラとしての役割なのである。」「著作権法も司法秩序の一要素である限り、抑制的であることが要請されるのだ。創作するかしないかは個人の自由なのである。」
 そうだ、そうだ。


 著作権をこう位置づけたうえで、このサイクルを循環させる原動力は何か、法律ではありえないとしています。
 そして原動力、それは「『楽しさ』」だと言っています。「『楽しさ』を原動力として回る仕組み」だとし、学校での学習の楽しさの重要性を指摘しています。「学校」がマックと同じように、「楽しさ増幅装置」であるべきことを指摘しています。「法制度はあくまでインフラであって、それ自体がサイクルを回す原動力にはなり得ない」と。



 イヤなこともあるし、腹が立つことももちろんあるけど、楽しいことがあるからやっていられる。ワクワクすることがあるからやっていられる。

 先日、ある交渉事件の相談、依頼を受けたところ、相手方は以前、別の件でも相手方であった企業と分かり、相談の中身としてもこちらに理のある至極まっとうなことがらであって、ワクワク感を感じている自分に笑ってしまいました。また、別の相続事件でも新たに交渉が始まります。どのように交渉しようかと考えているとき、楽しいです。
 さらに来週は法廷での尋問があります。どういう点を反対尋問で突こうかと考えるとワクワクします(と言いながら、依頼者の方が相手の弁護士から反対尋問を受ける緊張感もあり胃が痛む思いもするのですが。)。

 法律や法廷もまた、弁護士にとっては「楽しさ増幅装置」なのかも。だからこそ弁護士をやっているのか。目に輝きがなくなったら辞めるときだな。
(おわり)

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