08 弁護士業務

December 23, 2009

国会議員【松井】

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 先日、属する委員会の先輩弁護士の主催で、衆議院議員を囲む会というのがありました。消費者契約法の立法の際に関わられた国会議員だということで、勉強会のような趣旨でした。
 実際に生の国会議員と3時間もみっちり少人数で席を共にするというのは初めてでした。
 そこで感じたことは、国会議員はタフでなければやはり務まらないということでした。ポスターでよく見かけていた方であり、爽やかイメージを持っていたのですが、会ってみると、泥臭い、良い意味でも人間臭い方でした。
 そして、これでないと国会議員としては活躍できないなというものでした。


 公職選挙法4条1項、2項により次のように国会議員の定数について定められています。
 衆議院議員の定数は480人(うち小選挙区選出300人・比例代表選出180人)、参議院議員の定数は242人(うち選挙区選出146人・比例代表選出96人)。
 衆議院議員は、総勢480人です。そして任期は4年(憲法45条)。法律案についても、参議院で否決されても、衆議院で出席議員の3分の2以上の多数で再度可決したときは法律となります(憲法59条2項)。衆議院の優越です。
 この議員たちが、法律を作り、法律を改正していきます。
 予算についても、内閣が作成した予算について、衆議院の先議と優越が定められています(憲法60条)。
 平成21年10月現在、欠員なしの480名。
 http://www.shugiin.go.jp/index.nsf/html/index_kousei.htm
 この480名で日本の大きな物事、方針が決まっていくのです。
 その重要な1名/480名 がどんな人なのか。


 民主党から4戦しており、当選2回という40代のまさに働きざかりの議員でした。民主党はいまでこそ与党ですが、野党の立場での議員も経験されていました。
 どういった日々の活動なのか。
 今回のように、情報収集と広報活動といった意味もあるのでしょうが、懇親会・勉強会に出席し、自身の日々の東京での活動の話をされると共に、集まったメンバーからの意見に耳を傾けていく。
 こうした活動を積み重ねながら、それをどう国政、国会、そして議院制内閣のもと、内閣での行政活動に活かしていくのか。
 この過程での、各所での力が議員としての能力であり、議員に求められている世の中での役割なのだということを目の前の議員のパワフルな姿を見て、実感しました。
 
 まず驚いたのは。
 やはり最初、とにかく喋る喋る。30分の持ち時間で、立て板に水で情報内容満載の話しを話し、聞き手を笑わせるようなネタも交えながら、いかに活動・活躍しているのか、戦っているのかの話を聞かせるパワーでもって話されました。
 30分でしたが、まだまだ喋れると言っていました。

 そのパワフルさにまず驚きました。
 その後、各弁護士からの話に対しても、ときおりメモをとりながら、一つ一つさばくように聞いて、言葉を交わしていきます。
 馬鹿では出来ない仕事、相当な能力がないと務まらないと思いました。
 何年か経験するまでにここまでになられたのかどうか。
 
 そして東京での活動は、各所との「戦い」です。情報戦です。舐められたら終わりという世界のようです。
 舐められないために、手綱を御するために知識と情報で圧倒せねばならない。
 四方八方、戦いの世界のようでした。
 国民、役人、同じ議員、それぞれいかに人の心を掴んでいくのか。


 3時間の勉強・懇親会が終わってしみじみと思ったこと。
 
 「志」と「能力」がないと、ただの議員の一票として党の幹部に利用されるにすぎない立場なのが国会議員なのだろうなということです。
 「志」がなかったら、ただの風見鶏として終わります。
 「能力」がなかったら、その志が実現することはありません。
  
 議員に限らず、どの仕事も同じなんだろうけど。

 自分がいったい何のために国会議員になっているのか。480人の人々全員に「志」と「能力」があるのか。
 
 それを見極めるは選挙民であり、世論を形成するこの国で暮らす人々だと思います。
 選挙のときだけではなく、選挙のあとこそ、その議員らの「志」と「能力」を見極め、働きかける必要があるのだと思います。
 このための仕組みの重要な構成要素がマスコミ。
 このマスメディアの記者の能力のチェックは誰がどうするのか。
 ネットなんだろうと思います。ネットによって発信能力と情報収集能力を身につけた能力と志ある人が新たな情報発信をしていく。
 マスコミの報道に疑義を唱えていく。
 
 今、まさに民主主義がどんどん成熟しているのだろうと思います。
 
 片山右京さんらのパーティーの遭難事故事件。
 登山家の野口健さんのブログです。
 http://blog.livedoor.jp/fuji8776/archives/2009-12.html#20091222
 
 twitterで知りました。
 報道の姿勢についても考えさせられます。これが日本の現実なんだろうと思います。残念。


 国会議員と記者こそ、本当に志と能力にある人にその仕事を担ってもらいたいです。
 裁判官と検察官、そしてもちろん、弁護士も。

(おわり)
 
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December 08, 2009

近頃の家庭裁判所〜遺産分割調停に期待されるもの〜【松井】

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1 
 家庭裁判所での遺産分割調停事件、審判事件で数多く代理人をさせていただいています。
 やはり大阪家庭裁判所でのということが多いのですが、ここ最近、たまたまかもしれませんが、違和感を感じることが続けてありました。

 調停委員や裁判所の立ち位置です。

 何に違和感を感じるのかというと、「これは調停ですよ!」とこちらが強く言いたくなるような場面によく出くわすようになったということです。

 すなわち、どういうことかとういと、裁判所は、「それは本来訴訟事項なので調停でその話を持ち出すな」という態度を今迄以上に強く押し出してきているような気がするということです。
 訴訟事項と調停事項の違いくらい、代理人弁護士が就いており、当事者も弁護士もわかっています。
 しかし、当事者としては、できることなら訴訟は避けたい、この調停で解決したいという動機があるのです。
 だから、調停の場に、本来訴訟事項であることもいったん話し合いのテーブルに載せて、相手との協議、交渉を試みたいのです。相手も、訴訟は嫌なはずです。
 そこで、協議を重ね、もみほぐすうちに双方、互いに妥協して、合意に達して全面解決ということがあり得るのです。
 訴訟事項であっても、当事者の合意があれば調停、審判事項となりえました。
 私の知る限り、これまで、審判であっても、審判であればなおさら、裁判官はまずは合意を取り付ける方向で動いていたように思います。
 調停においても、調停委員もそれは訴訟事項と分かっていながら、なんとか全面解決するのが望ましいということから意欲を見せるのが普通でした。

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 ところが、最近、たて続けに感じた違和感。
 裁判所の方針が変わってきたように思います。

 先日、遺産分割の調停申立てをしたところ、当然、主たる遺産の中身として、預貯金口座がありますが、これに対し、わざわざ「裁判官からの伝達事項です。」ということで書記官から弁護士にと電話がありました。
 預貯金は、法律上は厳密には、相続時点で分割債権として原則、分割されているというのが判例です。なので、遺産分割の対象とはなり得ないというのが理屈となります。

 第1回の調停期日前にわざわざ電話をしてきた書記官曰く。
 

「最近の方針として、裁判所では、無理に合意を取り付けることはしていません。かえって一方当事者の不利益になることがありますので。そのことはご了解ください。」

 ということでした。
 紛争解決機関の一つたる、家庭裁判所の役割放棄だと思います。預貯金を遺産分割の対象から外すのがデフォルトとなったら当事者の紛争解決ってどうなんねん!?という思いです。預貯金が一番、柔軟性のきく財産であるため、そこで調整されるのがほとんどだからです。

 訴訟事項は訴訟でやってくれというのが、実は、家庭裁判所では一番楽な仕事です。
 審判事項に問題を絞り、問題を簡単にしていって、簡単な問題だけを解決していけばいいだけだからです。
 
 以前は、困難な問題だけど、なんとか当事者の利益のために、全面解決のために、問題に取り組み、なんとか試みましょうという意気込みがあったように思います。
 
 しかし、裁判所からわざわざこんな第1回期日前から、逃げ口上のような電話を受けました。
 驚きました。

 こんな電話を、しかも居丈高な口調でかけてくる書記官さんも何も疑問に思わないのかと全く不思議に思いました。
 また、つい先日から感じていたことですが、調停委員も、「問題をなんとか解決しよう!」という意気込みもなく、上記のような裁判所の考えを調停室で面と向って口にするのです。
 「遺産の範囲の問題は訴訟条項ですから。」
 弁護士なら、当事者にとって、確かに争っているけど、じゃあ遺産の範囲確認訴訟を提起するのかというと、それほどの資産価値、費用対効果のない資産価値たることは明らかな財産に対して。
 それを分かって、分かっているからこそ、また話し合いの場たる「調停」だからこそ、「調停」の申立てを行い、なんとか話し合いで双方妥協しあって解決出来ないかと試みているのです。

 それを調停委員が、当初から問題をもみほぐす気のないこと、「裁判官がそう言っていますから。」というのを口にしていくるというのはこれはもう調停委員の役割放棄ではないかと思います。
 やる気がないなら、ここで紛争を解決してやるという熱意がないなら、調停委員から身を引くべきだと思います。


 そんな調停委員にあたって何だかなあと思っていたところで、今回の書記官さんからの直接の電話。裁判官からのお言葉の伝達です。
 家庭裁判所。

 そんなこと言っているなら、もう「仕分け」されてなくなったらいいのにとすら思います。
 以前もブログに書いたように、相続事件は、調停条項/訴訟条項の区分けのために、当事者が家庭裁判所と地方裁判所を行ったり来たりしなくてはならないことが結構あります。
 私は、離婚事件のように、家庭裁判所で一元化すればいいのにと思っていたのですが、当の家庭裁判所がこの状況というのがどうやら最近の現実のようです。
 だったら、相続に関する事柄は地方裁判所で審理できるようにして、家庭裁判所の人員を減らしちゃえ!と実は怒り心頭の気持ちです。
 
 いらないよ、仕事する気のない、紛争解決機関としての役割を果たそうとしない裁判所に裁判官、書記官さんに調停委員なんて。
 自分たちがこの社会で果たすべき役割、期待されている役割というものを第三者的に考えたことはないのであろうかと不思議で仕方ありません。
 全く驚きの書記官さんからの電話でした。
 私が知る限り、以前は、どの審判官裁判官、調停委員も皆、もっと「終局的な紛争解決」ということに意欲的だったのですが。
 ここで終わらせてみせる、という意気込みがあったのですが。
 まったくもって残念です。
 
 そうです。怒ってます。ブログを書くぞという原動力は怒りが大きいですかね(笑)。
 新聞記者の友人が、日常生活で怒り心頭なことがあると、「書いてやる!」と心の中で思っていたというのと同じかも。実際には、新聞にはそんな個人的な怒りは書かないんだろうけど。
 「怒り」って、問題意識からくるんでしょうかね。これでいいのか?という。

 家庭裁判所は、こんなのでいいのかな。自分で役割を放棄していっているようにしか私には見えない。以前の違う、意欲的な、格好いい姿を見ているから余計にそう感じるのかも。私の知っている裁判官審判官や調停委員は、皆、熱心に問題に取り組み、粘り強く調停や審判においても、合意の形を模索し続けていました。
 問題を地方裁判所に放り投げることなら、はっきり言って誰でもできます。ちょっと相続回りの法律と裁判例を勉強したら出来ます。それを大上段に振りかざそうとするような態度は、以前なら、「あら、この人は問題の本質が分かってないよ。」と調停室ではちょっと蔑みの対象だったはずなのですが。どうも最近は違ってきているようです。そう。私も、書記官さんからの電話を聞きながら、この人はいったい。。。と大きな疑問にとらわれました。

 がんばれ、家庭裁判所。

(おわり)
*ピカチューも応援してるよww
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December 07, 2009

身の回りの嬉しい話し【松井】

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 ブログの更新を怠っていますが、この間、法律の業界でも、自分の身の回りでも、いろいろなことが起こっています。
 今回は、雑記的な身の回りの事柄について(いつもか。)。


 ここ1、2週間ほどで嬉しいことがいくつも起こっています。
 先日は、四国の地方新聞社で働く記者の友人から嬉しい電話がありました。
 応募していたフルブライト奨学生のジャーナリストプログラムに見事合格したというのです。
 フルブライト奨学金 http://www.fulbright.jp/grant/p-jour.html
 彼女は、大学の時以来の友人なので、18歳からかれこれもう20年以上のつき合いになります。
 関西大学法学部を卒業後、国際法を専攻して京都大学大学院に進学し、その後、ジャーナリストの道に入りました。
 最初は、今は亡き、元読売新聞大阪本社社会部の部長で、黒田軍団と周囲に言わしめた黒田清さん主催の「黒田ジャーナル」で働き始めました。
 そこには、今は、独立して活躍されているジャーナリストの大谷昭宏さんも黒田さんの部下としていて、二大巨頭の下で「記者」としての取材力と表現力に磨きをかけました。 その後は、場所を移して、九州方面で著名な新聞社、西日本新聞で取材記者として活躍します。
 そして、もともとの出身地であった四国に戻り、四国の地方新聞社で取材、報道をしています。
 東京ではなく、地方で何を発信できるか、何を発信すべきなのか。取材記者としていろいろと悩み模索があったようです。
 そこで40歳を前にして再度、トライしたのがジャーナリストプログラムだったようです。
 四国の新聞社からは初めての選出ということで、アメリカで研究した成果を四国に戻って、四国に対し、どのようにその得たものを発表し、還元するのか。楽しみです。
 彼女の挑戦をおそれない勇気とその彼女を応援する新聞社。広告費の削減等のために経営基盤が危うくなっていると言われる新聞社が多い中、収縮していくだけでなく、敢えて打って出る姿勢。
 四国徳島では、「葉っぱビジネス」が脚光を浴びました。発想を変えてみる、視点を変えてみる。そこから、地方からも大きなうねりが発生する。
 日本では四国の時代がやってくるかもしれません。


 もう一つ、嬉しかったこと。
 知り合いの神戸三宮の路上を主な舞台とする、ミュージシャン、信政誠さんが新たなCDを全国発売したということです。
 http://www.eonet.ne.jp/~nobumako/top1.htm

 最初、YouTUBEでその歌声を聞いて、これは本物だと思いました。単に歌が上手い、声がいいという人は周りでもいくらでもいますが、ミュージシャン、歌手として成功するには、その人ならではの魅力的な歌声というものが必須だと思います。
 その必須の要素を感じました。
 aikoや、矢井田瞳、平井堅、yuiなど、皆さん、その人にしかない魅力的な歌声の持ち主です。
 信政誠さんにもそれを感じました。
 だからずっと応援していたのですが、11月25日、ようやく全国CDデビューを果たしました。
 良いものは人に紹介したい、知って欲しい、喜びの感情を共有したい。
 そんな思いで、もっと多くの人に彼の歌声を耳にして欲しいと思います。
 Nobumako Standard
 
* thanks のところに名前をクレジットしてもらっています。ありがとう!


 最後に。最近嬉しかったこと。
 これも、その動向を見守り(笑)、ぜひまたお店を始めて欲しいと願っていた知人の方が、以前お世話になっていたというオーナーに声をかけてもらって、新たにオープンした店の責任者として頑張っているということです。
 一時は自営業的な仕事はもうやめて、毎月、定額の給料がもらえるような安定した仕事に就きたいといったことも口にされていた方ですが、やはり接客業が好き、自分が任されたお店でお客さんを楽しませていきたいという思いがあったようです。
 そして、声をかけてもらって、オープン準備から参加し、今回、無事に新規店舗オープンの運びとなったようです。
 「あそこに店を出すんですよ。」と言っていたとき、そのあそこをのぞいてもまだテーブル一つなく、本当にあそこに店がオープンできるのだろうかとだんだん心配にもなっていました。
 それがこの12月1日、無事に新規オープン。嬉しい限りです。


 フルブライト奨学金を得てアメリカに旅立つ友人も、全国デビューということで本当に、ようやく大海原にこぎ出していく信政誠さんも、そして心機一転、喜びに満ちて店舗オープンさせた知人も、みんな、頑張って成功して欲しいと思います。
 それぞれに何らかの形で関われて、お役に立てたことは、非常に光栄です。
 

 twitterを始めて、東京や名古屋、地方の弁護士さんや、あるいは家庭裁判所で調停委員をされている方などとやりとりをさせていただいています。
 その中で、調停委員をされている方がこのような趣旨のことを仰っていました。
 
 

幸せになりたくて家裁のドアを叩く方が、幸せを掴むお手伝いをするのが家庭裁判所の調停委員なんだ
、と。

 人として、やはり、人が幸せになる手伝いが出来るというのは、それがまた人としての自分の幸せなんだと思います。
 
 仕事も、弁護士業も同じです。
 一人では、自分だけではどうにもならない問題を抱え、何か前進があればとの思いで法律事務所のドアを叩く方々に対し、力添えをして、共に問題に取り組み、最後は晴れ晴れとした顔で別れるのが喜びです。
 ただ、長いおつき合いになることも多いその過程で、私自身の人間としての弁護士としての未熟さなどから、不満、不信をもたれることもあるかもしれません。
 時には、依頼者を見る目がなかったということで本当は弁護士としては非常に恥ずかしいことではあるのですが、やむを得ずに当職の方から辞任させていただくこともありました。
 ただ、相談を受け、依頼を受け、受任させていただくときの気持ちはいつも同じです。 何とか問題を解決して、最後、笑顔で帰ってもらえるようにお役に立ちたい、一緒に問題に取り組み、何が何でも解決する。
  
 私もまた、友人達のように、おそれずに前に一歩進んで行きたいと思います。

(おわり)

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November 24, 2009

ガイド〜道先案内人の大切な役割〜【松井】

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 人のふりみてわがふり直せ、ではありませんが、「ガイド」の意味合いについて弁護士業務と重ね合わせて考える機会がありました。

 自分なりによく比較するのがお医者さんや病院だったのですが、先日、弁護士同士のとある親睦旅行に参加し、西表島に行ってきて、また違うものと比較してしまいました。

 8年ほど前にも、一人旅行で石垣島、西表島、沖縄本島をふらふらと旅行したことがあり、二度目の西表島探訪でした。
 前回は、突然思い立ち、行き当たりばったりで、西表島の川をカヌーでさかのぼり、途中下車して、トレッキングをして、滝つぼで泳ぐといったもので、他に女性客、家族客といっしょだったためか、ガイドさんに対して、私が疑問を思うということも特にありませんでした。向こうが私をどう思っていたかというと、30歳の女が一人旅で何でこんなツアーに参加を?!と気持ち悪かったかもしれません。

 しかし、今回。
 今回も、トレッキング&カヌーができるツアーに参加申し込みをしたのですが、前回と同様のプランだろうと勝手に思い込んでいたところまったく違い、そのためかかなり戸惑いを覚える体験をしました。


 何に戸惑いを覚えたのか?
 全体像を説明しない、こちらの理解を確認しない、具体的に説明しない、ということです。
 
 朝の集合だったのですが、その日一日、どういうプランでどういったところを歩くのかの説明がほとんどありませんでした。
 あったのは、こちらの軽装の格好を見て、「思っているよりも大変な道だと思いますよ。」ということだけでした。

 客は私たちのグループの二人だけだったのですが、まったく丁寧な、親切な説明がなし。
 どんなルートでどんな道を進むのかの説明がないままに出発してしまいました。
 どこかで説明があるのかと待っていたら、結局、ないままでした。

 ここでちょっと気の利いたガイドなら、地図を示し、ルートを示したはずです。また、途中の道についても、川を突っ切りますよだとか、細い崖っぷちのような道を通りますよだとかの説明があったろうにと思います。
 そんな説明はなく、出発。

 雨上がり、滑落しそうな細い崖の道を歩いたり、結構流れが早く、足場も石だらけで悪い川を突っ切ったりと、非常に心細くなりながら、しかしガイドはガンガン先を歩くので、不安がる暇もなくついていくのが必死でした。
 ここではぐれたら、遭難だなあ、そんな場合は川のところでじっとして救助がくるのを待つのがいいのかなあといったことをふーっと考えながら、ガシガシ歩きました。
 川を渡るときも、ここで足をすべらせたら、石のところで頭を売って、この川の勢いで下流にどんどん流されて行くんだろうなあと夢想しながら、必死で石に足を吸い付けるように川を渡りました。

 カヌーをどこでいつ乗るのかも聞いていなかったので、この先からカヌーに乗るのだろうかなどと考えていたら、結局、ゴールは小さな滝のある場所でした。
 結局、また来た道を戻って、事務所に戻るとそこで一服して昼食をとり、そこから川に出て、カヌーで近場をうろうろというのがこの日のツアーのすべてでした。
 

 西表島のジャングルを満喫し、久しぶりにカヌーを漕いで気分もよかったのですが、このガイドの方はかなり損をしているなと思いました。
 島のしきたりや島で暮らすということ、祭りの話などいろいろと面白い話しも聞けて、楽しかったのですが、「ガイド」としてはまだまだ足りない、もっと上の「ガイド」があるのではないかと思わせられました。
 それは、人に伝える、そのために聞き出すということです。
 一方的ではない、双方向のやりとりによって、要求にあった情報のやりとりをし、その結果、安心を得たり、より楽しく過ごすということです。
 それは、質問をして、「全体像を示す」ということだと思います。

 島のトレッキングやカヌーをするのであるなら、ゲストの理解を確認し、不足を補う情報を与える、それは、島の地図を示して、これから行くルートを示す、カヌーで漕ぐ川筋を示す、そういったことです。
 これがあるのとないのとのでは、ゲストの楽しむ余裕、楽しみの深さが違ってくると思います。
 
 私がこのツアーのガイドなら、絶対に島の地図を用意して、これから行く場所を確認して示します。

 で、振り返って考えるに、弁護士による代理人活動も同じなんだろうなとつくづく思います。

 毎日の仕事でもあるので、ついつい各依頼者も分かっているものと思い込んで振る舞ってしまいます。
 しかし、実際には、弁護士に代理人活動を依頼するなんてことは個人の方なら初めてのことがほとんどです。そもそも、弁護士って、何をどこまでしてくれるのか、依頼した相手との交渉はどうなっているのか、これからどうなっているのか。
 西表島のジャングルの中のトレッキングよりも不安なことだらだけだと思います。
 交渉が決裂したらどうなるのか、費用はいくらかかるのか、分からないことだらけ。
 しかし、ガイドである代理人は先へ先へとどんどん進んでいってしまい、聞きたいこともなかなか聞ける雰囲気ではありません。
 申し込みをしてしまい、進み出したが最後、この弁護士の後ろ姿を見失うまいと後にすがって進むしかないのか。休憩したいんだけど、いいだせない。
 
 弁護士も、今回のガイドさんと同じようなものかもしれないなといろいろと考えさせられました。


 結局、何事も気配りで、それが出来るかどうかはその人の想像力によるものかと思います。
 ちょっと想像力を働かせる。そして、自分が出来る心配りをする。
 これの繰り返しだと思います。
 完璧なサービス。
 
 ただ、もちろん、いくらサービスがよくても、そもそもの根本的な知識と技量がなければ、ガイドもゲストを楽しませながらも、誤った場所へ連れて行ってしまったり、下手をすればゲストに大けがをさせたりしてしまいます。
 知識と技量、そして想像力。
 ガイドに必要な要素だし、弁護士にも必要なものです。
 
 と、またなんだか意地悪な客の目線の気付きを書いてはいますが、案内してくれたガイドさんはとっても素朴ないい人で、自然を堪能できました。
 ときどき、木を切るのこぎりを持つ手を止めて、のこぎりの刃を磨く休息が必要ですね。ボロボロの刃ではいくらひいても木は切れない。一度休んだほうがリフレッシュされてかえって効率的という話。
 ときどき日常を飛び出て、非日常に行くことによって、かえって日常がよく見えます。

(おわり)
*帰りは、石垣牛のステーキを食しました。ご馳走様でした。 
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November 14, 2009

権利の上に、眠らない!〜消滅時効など〜【松井】

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 民法では、3に記載のような規定があります。
 要は、いつまでも権利行使できるわけじゃないよ!ということです。
 「権利の上に眠るものは保護に値せず」という言い方で、せっかく発生していた権利を行使できないときが定められています。時効消滅と言われるものです。
 ただ、時効は、「時効の中断」というものが認められています(民法147条)。なかにはこの中断が認められないものもあり、それは消滅時効とは別の、除斥期間といわれています。

 なぜこんな規定があるのか?
 自分が請求される側だったらどうでしょうか?忘れたころに請求してこられる。もうそんな昔の書類などは捨てちゃったよ、覚えていないよ、といったことが考えられます。一方で、請求する方は、もっと早く請求しようと思えば請求できたでしょという事情があります。
 だったらこの間の利害を調整して、「権利の上に眠るものは保護に値せず」としても必要性/許容性 OKだろうと考えられます。
 そこで、消滅時効や除斥期間といったものが定められてます。


 最近、不景気だからか売掛金回収の相談を受けることが多いです。踏み倒されるという話。

 1000万円の売掛金だったら迷わずに裁判をするのでしょうが、30万円程度や100万円前後といったように、弁護士に依頼して裁判を起こしてまで回収するのか迷われるような金額のケースが多いです。
 裁判を起こして勝ったからといって、完全に回収するには和解で終わらない限り、強制執行まで要します。差し押さえ、換価手続きです。
 弁護士費用を払って、いったいいくら手元に残るのか。

 経営者の方の決断だと思います。
 ただそうして迷っているうちに、日にちがどんどんすぎて、結局、時効で回収できないということも考えられます。

 裁判を起こし回収作業に着手する、あるいは、税法上、損金で落とせないか検討し諦めてしまう。
 二つに一つの場合がほとんどです。

 どちらにしても、決断できないままに、うっかり「権利の上に」眠ることのないように気をつけて欲しいと思います。

 売掛金の回収に関わらず、中古の家を買ったけど雨漏りがするであったり、交通事故に遭ったけどまだ加害者から賠償金を支払ってもらっていないだとか。
 ぼんやりしているうちに1年、2年は大人になるとあっという間に経ってしまいます。

 皆様、どうぞ気をつけてください。そして。早めに弁護士なら弁護士に相談し、「決断」をされることをおすすめします。



 「権利の上に眠る」ものはメッ!のあんな規定、こんな規定

 

166条1項 消滅時効は、権利を行使することができる時から進行する。
 167条1項 債権は、十年間行使しないときは、消滅する。

 さらに、債権の種類等によって細かくわけ、5年、3年、2年、1年の時効期間を定めています。

 

169条 年又はこれより短い時期によって定めた金銭その他の物の給付を目的とする債権は、五年間行使しないときは、消滅する。

 

170条 次に掲げる債権は、三年間行使しないときは、消滅する。ただし、第二号に掲げる債権の時効は、同号の工事が終了したときから起算する。
   1号 (省略)
   2号 工事の設計、施工又は監理を業とする者の工事に関する債権
 

 

173条 次に掲げる債権は、二年間行使しないときは、消滅する。
   1号 生産者、卸売商人又は小売商人が売却した産物又は商品の代価に係る債権
   2号 自己の技能を用い、注文を受けて、物を製作し又は自己の仕事場で他人のために仕事をすることを業とする者の仕事に関する債権
   3号 学芸又は技能の教育を行う者が生徒の教育、衣食又は寄宿の代価について有する債権

 

174条 次に掲げる債権は、一年間行使しないときは、消滅する。
   1号 月又はこれより短い時期によって定めた使用人の給料に係る債権
   2号 自己の労力の提供又は演芸を業とする者の報酬又はその供給したものの代価に係る債権
   3号 運送賃に係る債権
   4号 旅館、料理店、飲食店、貸席又は娯楽場の宿泊料、飲食料、席料、入場料、消費物の代価又は立替金に係る債権
   5号 動産の損料に係る債権

 また、契約上の債権ではなくって、事故など契約当事者間でなかったものについての不法行為責任については3年とされています。また、「権利を行使できる時から」という定め方ではなく、「損害及び加害者を知った時から」との文言になっています。

 

724条1項 不法行為による損害賠償の請求権は、被害者又はその法定代理人が損害及び加害者を知った時から三年間行使しないときは、時効によって消滅する。


 その他にも、無過失責任といわれるものなどについては、次のような規定があります。基本、1年です。

 

570条 売買の目的物に隠れた瑕疵があったときは、第566条の規定を準用する。ただし、強制競売の場合は、この限りでない。
 566条3項 前二項の場合において、契約の解除又は損害賠償の請求は、買主が事実を知った時から一年以内にしなければならない。

 
 
637条1項 前三条の規定による瑕疵の修補又は損害賠償の請求及び契約の解除は、仕事の目的物を引き渡した時から一年以内にしなければならない。
 638条1項 建物その他の土地の工作物の請負人は、その工作物又は地盤の瑕疵について、引渡後五年間その担保の責任を負う。ただし、この期間は、石造、土造、れんが造、コンクリート造、金属造その他これらに類する構造の工作物については、十年とする。


 また、離婚の際の財産分与の請求権については、「離婚の時から」2年とされています。

 

768条1項 協議上の離婚をした者の一方は、相手方に対して財産の分与を請求することができる。
  2項 前項の規定による財産の分与につちえ、当事者間に協議が調わないとき、又は協議をすることができないときは、当事者は、家庭裁判所に対して協議に代わる処分を請求することができる。ただし、離婚の時から二年を経過したときは、この限りではない。


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November 09, 2009

立ち読み考〜物色という行為と店の心配り〜【松井】

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 近所の大阪証券取引所ビルには、そのビルが出来たときから地下にセブンイレブンが入っていました。
 そこには当然、週刊誌の棚があり、出先から事務所に戻る際など、時折、飲み物やお菓子を買い、そのついでに週刊誌をぱらぱらと立ち読みして、面白そうな特集のときはよく買っていました。
 しかし、いつのころからか、そこの棚においてある週刊誌などがすべてヒモで縛られて立ち読みできないようにされてしまいました。
 以後、そのセブンイレブンで週刊誌を買うことは全くなくなりました。


 その後、どうしたかというと、たまたま近くの地下道のところに京阪関連の小さな店舗が出来て、そこに週刊誌の棚もおかれ、そこではまったくヒモなどでは縛られていない対応になっていました。
 以来、その店舗の方で、たまに棚にある週刊誌をパラパラと立ち読みをし、面白そうな特集のときは買い込んでいました。また、ちょっとした飲み物などもそっちの店で買うようになっていました。

 が、しかし。先日、いつものようにパラパラと立ち読みをし、つまり「物色」をしていたところ、私は顔に覚えのあるその店の店員のおばちゃんが、「立ち読みはお断りしていますので」と声をかけてきました。
 びっくりして、一応、「すみません」といって手にしていた雑誌を閉じて、棚に戻し、その場を去りました。

 非常にがっかりしました。
 もう二度とあの店では雑誌も飲み物も買わない、という思いにかられました。


 近所のセブンイレブンの雑誌のひも縛りは、雑誌を買う人の行動パターンが分かっていない、ばかな売り方だなといつも思っていました。で、一方の地下道の店舗は、まだ賢いなと関心していました。
 しかし、地下道のお店も同じでした。
 本当に、がっかりしました。
 
 本好き、雑誌好きの人の行動パターンをまったく理解していない。
 立ち読みは、「ただ読み」、「読み逃げ」ではなくて、「物色」行為なのです。
 つまり、面白そうな雑誌を物色し、面白そうと思えば、その雑誌を買って行くのです。
 もちろん、ただ読みの人もいるとは思います。ただ、それを防ぐために、「物色」行為をする潜在的なお客さんを締め出すというのはまったくバカな売り方だと思います。


 12年ほど前、初めてアメリカに行き、オハイオ州の田舎の友人宅に1週間ほど滞在しました。その時、アメリカ国内では大手有名巨大書店であった「バーンズ&ノーブル」という書店に連れていってもらった際、非常に感動したことを覚えています。
 なんと、広い店内のあちこちに、手にした本をゆっくりと座って読み、物色できるように、座り心地のよいイスが置いてあったのです。
 手にした本をゆっくりと眺め、読んでいってくださいという心配りを感じました。そうです、心配りです。お客さんに対する信頼、善意を感じました。もちろん私も、いろいろな本を物色したうえで、相当、買い込んでいきました。
 日本も、その後、今でこそ、ジュンク堂などではイスが店内のあちこちに置かれています。
 
 その一方で、雑誌をひも縛りしてしまうコンビニや、「立ち読みはお断りしています」と店員が声をかけてくる小さな地下道の店員、店舗が存在するのです。
 場所柄、北浜界隈でもあるので、会社勤めの人が多く、それほど雑誌を手荒に扱うような不作法な人が多いところとも思えません。

 本当に朝から、がっかりする出来事でした。


 その延長で考えるに。
 弁護士も「物色」される時代なのではないかとふと思ったことです。
 医者もセカンド・オピニオンが普通に求められる時代です。
 弁護士も、知りあいの人に紹介されたからといって、相談に行き、今一つしっくりとこない、信用しきれない、合わないと思うようであれば、他の違う弁護士を探して当然なのではないかと思います。
 探すのに時間を要しますが、一度手にしたらその雑誌を絶対に買わないといけないわけではない、パラパラと見て、面白くなさそうなら買わない。
 その「手にしてパラパラと見る」という行為が、弁護士への時間制の相談ではないでしょうか。
 それが出来て当然。そうあるべきだと思います。
 ヒモで縛ってしまってはいけない、「立ち読みお断りです」と言ってはいけない。
 人に向ける言葉はすべて自分に返ってきます。

(おわり)

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November 04, 2009

公正証書遺言の作成手順 【松井】

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  11月2日のgooのニュースによれば、次のような裁判例があったようです。

http://news.goo.ne.jp/article/jiji/nation/jiji-091102X848.html

「他人が署名」と遺言無効言い渡し=相続訴訟で逆転判決-高松高裁
2009年11月2日(月)21:03
 愛媛県の女性が残したとされる公正証書遺言の真偽が争点となった訴訟で、高松高裁が「署名は女性以外の人物によるものと認められ、遺言は無効」とし、全財産を相続した女性のめいに約1600万円の返還を命じる判決を言い渡していたことが2日、分かった。判決は9月28日付で、被告のめい側は既に上告している。
 日本公証人連合会によると、公正証書遺言の作成過程が問題視され、信用性が否定された例は珍しいという。
 杉本正樹裁判長は「女性は認知症で、手も不自由であったことがうかがわれるのに、署名は明瞭(めいりょう)に記載されている」と指摘。めいが女性の実印や印鑑登録証明書を持っていたことにも触れ、「女性以外の人にこれらを渡し、本人のふりをさせることも可能」とした。めいには、自分の弟に約1600万円を支払うよう命じた。
 女性のめいの弟らは、めいらを相手に遺産の返還などを求め提訴。一審松山地裁は「遺言は女性の署名により作成したもの」として請求を棄却したため、弟らが控訴していた。

 高裁の事実認定が事実だとすれば、公正証書遺言の盲点を突いたものではないかと思います。

 弁護士や司法書士さんなどの専門家が公正証書遺言の作成の助言業務の依頼を受けることがあります。
 このときの手順としては、まず弁護士なら弁護士が本人確認のうえ、本人の意図する効果、どうしたいのかということをよく聴取りをしたうえで、望む法的効果となる文言を起案し、弁護士が公証人に連絡し、案文の調整を行います。

 そうして十分に案文を詰めたうえで、作成日時を決めて、弁護士と遺言者ご本人、そしてあらかじめ用意していた立会証人と共に公証役場に行き、公正証書遺言を作成します。

 つまり、公証人の方が遺言者ご本人に会うのは、このときが初めてになるのです。

 また実際には、このとき、すでに公正証書の遺言の文面は出来ており、その後の手続きを確認して、最後に同書面に立会証人、遺言者が自署、押印するというのが実際です。
 もちろん作成手続きの際においては、口述によって本人の意思による遺言内容か否かを公証人が確認し、たとえば、挙動不審、たとえば遺言能力に疑問を感じざるを得ないような言動があれば、公証人は作成手続きを中断し、作成しないとうこともあります。

 ただ、実際、第三者が詐欺的な意思でもって、公証人に対し、本人を偽ってなりすましを立てようと思えば、確かに出来なくはないというのが現状ではないかと思います。写真付きの身分証明書での本人確認でない限り。
 実際、過去数年ほどまえ、家庭裁判所においても、離婚調停事件で当事者のなりすまし事件がありました。それ以来、家庭裁判所では、代理人弁護士がついていても、第1回期日においては写真付きの身分証明書によって本人確認手続きを実施しているのが現状です。

 最近、ぼんやり考えていることには、本人なりすましは極端にしても、弁護士などの専門家がついている場合、公正証書遺言を作成する際でもこのように公証人は本人と会うのはほんの1度きりで、それは何を意味するのだろうかということです。

 そこにおいて、もちろん雑談などがなされるわけでもなく、本人確認がすみ次第、作成手続きにとりかかるのが通常です。
 このような現実は、もちろん事前に弁護士あるいは司法書士さんなどの専門家のチェックが入っているということが前提、これらの専門家への信頼が前提なのでしょうが、もし遺言者が認知症を患っていた場合、本当にその内容の遺言をする能力があるか否か、分かるのかなということです。
端的に言えば、少なくとも公証人は分からない可能性が高いのではないだろうかということです。

 わたし自身も、成年後見の申立てを何件か担当しています。その中で、何人かの認知症を患っておられるお年寄りとお会いしました。
 極端に一人で日常生活が出来ないというのならともかく、そうでない方の場合、正直言って、一度お会いしただけではまったく分からないということです。
 ごく普通に会話のやりとりも出来るし、服装も気をつかっておられます。何の違和感もなくお話ができます。

 ただ、その数日後、再度、お会いした場合、わたしのことを誰だか分かっていないということがあります。そのときに初めて、実感として、認知症の症状を患っておられるということが分かるのです。

 専門医師の方でしたら、ある一定の質問をし、それに対する回答でもって推測、診断がつくこともあるようです。また長年にわたり一緒に暮らしている家族ならよく分かることです。

 しかし、一度きりの出会いでは、分からないことが多いこともあります。
 そのような方が、本当に、その遺言内容のとおりの自己の財産処分をする意思があったといえるのかどうか。

 公正証書遺言だからといって法的に有効との推定を受けるものではないのはもちろんです。
 一見、その判断力の障害が分かりにくい方、でも他の家族はよく分かっている方という時が一番、微妙で問題になりうるのだと思います。

 そういう意味でも、遺言作成助言アドバイス業務にかかわる専門家の責任は、やはり重いのではないかと考えています。

 公証人も、ご本人が公証人役場に訪れ、作成の相談、依頼をしているときなら、接触時間も長く、当然、財産処分についての意思確認となるので、その遺言能力について判断できます。
 しかし、弁護士や司法書士さんなどの専門家が間に入ると、公証人は、遺言者に会うのはその作成日当日の一度きりです。これは、まさに専門家に対する信頼があってこそのものだからと思えるからです。
 これはという方の場合、つまり、ご本人から直接に専門家への相談ではなく、間に遺言者の親族、第三者が入っている場合、要注意ではないかと思います。
 
 専門家はなんどとなくご本人と協議、打ち合わせをして、そこにおいて当該遺言をするだけの遺言能力があると判断したという根拠をもつべき義務があるのではないかと思います。
 もし遺言無効確認の訴えなどの裁判になった際は、どのような確認をし、何を根拠に問題ないと判断したのかというところをねっちりと確認していかれることになります。
 
 紛争予防のための遺言、公正証書遺言なのですから、遺言能力についても紛争予防の手だてをうっておいてしかるべきというのがかかわる専門家の責務だと思います。

(おわり)

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October 28, 2009

遺言の作成助言業務と信任【松井】

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 最近、気になることがあります。これもやはりまだ考え、意見がスッキリとかたまっているわけではまだないのですが、備忘録的に書いておきます。
 
 それは、遺言の作成アドバイス業務についてです。
 公正証書遺言などを作成する際、自分で勉強して自筆証書あるいは公証人役場に行って、自分だけの力で作る人もいるかとは思います。
 ただ、やはり多くは、弁護士などの専門家のアドバイスを受けているだろうと思います。ここでいう「弁護士など」の「など」とは、遺言作成のアドバイス業は弁護士に限られていないという現実をさしてのことです。司法書士さん、行政書士さん、信託銀行、その他団体?が、遺言作成のアドバイス業務を有料で行っています。これはネットで検索すればわんさかと出てきます。
 
 遺言書の作成数が増えているのも司法統計から明らかなこともあり、私のもとに相談に来られる相談内容でも、公正証書遺言についてのものが多くなっているように思います。 そこで気になっているのは、「相続人の廃除」や生前贈与を書き記して、特別受益があるとし「遺留分侵害額」はないといった記載があるものです。
 このような内容の遺言書を作成する際、関わった「専門家」は、どれだけその裏付け事実の調査などをしているのか、あるいはしていないのか。どこまでの注意義務があるのか、ないのかということです。

 単に、遺言作成者が口にしたことを「専門家」が鵜呑みにして、後日の紛争にそなえた裏付け資料等を確認もしないままに、「代書屋」さんのように右から左へと「法律用語」を使って書くようにアドバイスするのでいいのかどうかです。
 作成に関わる以上、それは紛争予防が遺言者の本心である以上、紛争予防を考えるのであれば、やはり関与時、裏付け等の有無を確認、資料の確保すべき義務があるのではないかということです。
 この点、「本人がそう言っていたので、そう書かれただけです。」ということで「専門家」としての注意義務を果たしたといえるのかどうだろうかということです。

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 そこでたまたま読んでいた本に、なるほどと思う記述がありました。
 「信任」(信認)です。

 引用します。111頁、岩井克人「会社はこれからどうなるのか」(2009年、平凡社)

*本当は本の表紙だけを写したいのですが、アマゾンで購入のボタンが出てしまいます。。。

 

「信任とは、英語のFIDUCIARYに当たる日本語です。それは、別の人のための仕事を信頼によって任されていること、と定義されます。」

 
「重要なことは、信任とは契約と異質の概念であるということです。
 たとえば無意識の状態で運ばれてきた患者を手術する医者を考えてみましょう。この患者は自分で医者と契約をむすべません。だがそれにもかかわらず、救急病棟に詰めている医者は、まさに医者であることによって、患者のために手術をおこないます。ここでは医者は、患者の生命をまさに信頼によって任されています。すなわち、患者の信任を受けた信任受託者です。
 世のなかには、このほかにも未成年者や精神障害者や認知症老人など、法律上あるいは事実上、契約の主体となりえない人間はたくさんいます。彼らのために財産管理などをする後見人は、やはり信任を受けている信任受託者です。
 いや、医者と通常の患者との関係においても、信任という要素が入り込んでいます。なぜならば、医者と患者との間には、医療知識にかんして大きな開きがあるからです。たとえ契約書が交わされていたとしても、医者がおこなう治療の内容を患者が理解できる形ですべて特定化することは不可能でうs。仮に特定化できたとしても、それが実行されたかどうかを患者が確認することは不可能です。いくら患者が明晰な意識をもっていても、少なくとも部分的には、医者は患者の健康や生命を信頼によって任されてしまうことになるのです。
 同じことは、弁護士や技師や教師や会計士やファンド・マネージャーといった高度の専門知識をもつ専門家が他人のためにおこなう仕事に関してもいえます。一般に、形式的には契約関係であっても、当事者の間で知識や能力に大きな格差があるかぎり、そこでは信頼によって一定の仕事を任されてるという要素が必然的に入り込んでくるのです。」

 117頁
 
「信任関係の維持には、自己利益の追求を前提とした契約関係とはまったく異なる原理を導入せざるをえません。それは、ほかでもない『倫理』です。
 当たり前のことですが、信任を受けた人間がすべて倫理感にあふれいさえすれば、信任関係は健全に維持されます。それゆえ、歴史的には多くの専門家集団がみずからに職業倫理を課してきたのです。たとえば医者の場合、『わたしは能力と判断の限り、患者に利益すると思う養生法をとり、悪くて有害と知る方法を決してとらない』というあの有名なヒポクラテスの近いの存在が、患者との信任関係を維持していく上で大きな役割をはたしてきたことは、よく知られています。」


 かなり長い引用になりましたが、ここで述べられているように、遺言作成にたずさわる「専門家」も同じではないかということです。
 特に、弁護士がたずさわる場合。弁護士以外の者がたずさわる場合も、やはりそこにこのような「倫理感」が問われてしかるべきだと思います。
 具体的にはどういう場面で問われるかというと、先ほどの「相続人の廃除」であったり、生前贈与等を書き記した「相続分」や「遺留分侵害額」に関わる「事実」の記載をする場合です。
 
 そこでは、やはり相続発生後の自分の死後の紛争予防が遺言者の真意である以上、下手にこの「相続人廃除」や「相続分」等に関する生前贈与の「事実」等を書き記すと、その「事実」の有無を巡って紛争になることは明らかです。
 そうであるなら、助言する時点で、その遺言者が言う「事実」の裏付け資料の有無、確保を図り、その過程を記録化しておく義務があるのではないかと思っています。
 あまりこの点が争われた事例などを聞いたことはありませんが、今後、増えていくのではないかという予感がします。
 
 安易な、あまりに安易な遺言書の作成は、そんな遺言だったらないほうが相続人らにとってはましだったのではないかと思う内容を散見するこのごろ、ぼんやりと考えていることです。
 助言する専門家の方において、この「信任」の意識、どこまでの倫理感があるのかが問われているように思います。
 言われたことだけやっていればいいのかどうか。そうでないことは、はっきりしています。

(おわり)
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October 14, 2009

「アーユルチェアー」と「MBTシューズ」と、「弁護士」【松井】

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 またしても法律、弁護士業とは直に関係はない話なのですが、でも、弁護士の方や座り業の方には関係ある話しです。
 東京の会社のトレイン社と何の縁もゆかりもないのですが、その製品、アーユルチェアーに関して愛用者ということでその愛を語らせて頂きました。
 
 
http://www.ayur-chair.com/voice/


 腰痛に悩む方、長時間のパソコン仕事をしているけど、今の椅子に満足されていない方、ぜひアーユルチェアーを試用してみてください。
 これまでの靴とはまったく違う靴「MBTシューズ」と同様に、それまでとの「違い」が分かるはずです。
 
 商品一つをとってみても、その「特徴」、他との「違い」って大事ですね。
 

 「大橋弁護士」と「松井弁護士」の「弁護士」としての「違い」って何だろうかということをふと考えたのですが、「違い」を探すよりもむしろ「同じ」部分を探す方が難しいというくらいに違うのではないか!?(笑)。

 その「靴」や「椅子」を他の靴や椅子と比べるのと同様、「弁護士」も他の弁護士とどこがどう違うのか、特徴は何かを比べるのは利用者としては大事な視点だと思います。
 「賢い消費者に」というフレーズがありますが、これは弁護士利用者にも当てはまるかと!!

 この「違い」に気づくのは、靴なら実際に履いてみないと分からないし、椅子なら実際に座ってみないと分からない。
 弁護士もたぶん、「靴」や「椅子」と同様、お試しされて比べられる時代なのだと思っています。

 知人に紹介されたからといって、その弁護士が唯一の弁護士などという発想は利用者にはなくって、「違和感」を感じたら、別の弁護士を捜して「試してみる」という時代なのだと思います。

 
 「弁護士」としては、辛いといえば辛い立場ではありますが、利用者のことを考えたらそれが正しい姿だと思います。
 「弁護士」としての自分をアーユルチェアーやMBTシューズのように磨き続けるしかありません。
 
 正直なところ、改善点はいっぱいあります!改善箇所の発見は、やはりあるべき理想との「比較」しかないかと。


 先日、今年の新司法試験に合格した修習開始前の方が一日、弁護士って実際はどんなもん?という趣旨で一日、事務所で密着様子をみるという企画で、一人、うちの事務所に合格者の方が来られていました。
 具体的な話を聞きたいというので、「具体的」な話をいろいろとしました。
 人に自分の仕事の話をしながら、口に出して言葉にしていて思ったのは、頭で考えていることでも他人に言葉にして語りかけると客観性をもち、改めて自分で喋りながら、なるほど!と気づくことがあるという利点が自分にもあるということです。
 
 で、思ったのは。大事なのは、「共感力」だな、と。
 世の中、こんな自分の従前の価値感からは理解できないことがあるんだ!?ということに出くわしたとき、相談に来られた方の心の声にまず共感できるだけの「幅」が自分にあるかどうか。
 これがないと、せっかく相談に来られた方も、なんだ弁護士って、こんな程度のもんかと意気消沈して帰ってしまわれると思います。
 共感できないと、そもそも始まりません。
 そういうこともあるかも、こういうこともあるかも、という柔軟な頭、価値観が要るなと改めて思った次第です。
 

 今回の「アーユルチェアー」の取材に際しても、記事の中にあるように私の方がいろいろと開発秘話のようなものを聞かせていただきました。
 取材に東京から現れたお二人の美しい女性スタッフ。
 この方々が、開発担当だったということでまず驚きました。
 え!? 椅子なんてものをデザインする担当の方にはまったく見えません。
 お聞きしたら、会社でも「椅子」を商品として作り出して売り出したことは過去になかったとのこと。
 でも、椅子はこうあるべきなのではないか、こういう椅子があったらきっと快適なのではないかという「理想像」があったということです。
 そしてその「理想の椅子」は、従来の既成の椅子のメーカーの椅子の概念とは全く異なるものであった。
 「椅子」を作っていなかったからこそ、既成「椅子」にこだわらない、「理想」にたどり着けたのではないかといった弁でした。
 「椅子はこうあるべき」という枠に囚われずに自由に発想する力、発想した力を実現する力。
 
 弁護士にも必要な「力」だと思います。

 問題は実現する力なんですよね。。。
 アーユルチェアーに座り、MBTシューズで歩き回って、がんばります。

(おわり)
 ↓ shiologyのshioさんぽい写真(笑) まず真似から。
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October 01, 2009

「国税不服審判所と審査請求手続」の研修【松井】

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撮影 塩澤一洋氏(http://shiology.com/)。勝手に心の師匠。なんと!iPhone3GSで撮影した写真だということです!絵画のような妖艶な一枚。


 昨日、大阪弁護士会主催の「国税不服審判所と審査請求手続」という研修を受けました。
 講師は、大阪国税局不服審判所の所長、本多俊雄さんです。ついこの春までは民事部の裁判官をされていた方です。おそらく2、3年ほど、審判所の所長を務めた後、また裁判所に戻られます。
 そうです、国税不服審判所は「国税庁の中の特別の機関」なのですが、その所長は裁判官という法曹が務めているようです。
 もう12年前になる、司法修習時代の私がいたクラスの民事裁判教官の裁判官も、一時期、東京の国税不服審判所の審判官をされていましたので。
 で、特に守秘義務が厳しいようなのですが、その義務の中で、いろいろと興味深い実務上のお話がきけて面白かったので、ここにまた自分用にメモします。ブログをご覧頂く方にも何か参考になることがあれば。


 国税不服審判所の詳細については、HPが充実しているのでこちらをご覧ください。
 http://www.kfs.go.jp/

 審査請求事件については、平成20年度、発生件数が2835件あったということでした。ちなみに、異議申立ては5313件、訴訟は355件ということです。
 うち、審査請求事件について代理人の状況はどうかというと、これは感覚的なものですがということで、次のような状況らしいです。
 代理人なし・・・・47%
 税理士代理人・・・29%
 弁護士代理人・・・12%
 代理人なしで審査請求手続きをされる方が約半数。驚きでした。また、税理士さんも代理人として約3割がついているというのも予想より多く、活躍されているんだなという印象を受けました。
 ただ、審査請求について、平成20年度の処理のうちで、納税者の主張が何らかの形で受入れられたものの割合は、14.7%だそうです。
 これを狭き門と捉えるのか否か。


 最近の傾向としては、やはり国際税制がらみが多いということでした。
 そういえば、大学の同級生などで国税局に就職したという人が、留学しているらしいという話も聞いたことがあるので、国税局の方も力を入れているのだと思います。
 また、国際税制がらみになると、金額も大きく、専門性も高く、そして争訟性が強いという傾向があるようです。
 企業も、納得出来ないときは国税局に対して争うようになってきたということだと思います。数年前から言われていますが。
 

 審査請求手続に関しては、審判官として多いのはやはり税務所からの出向の人がほとんだということで、手続的保障といった観点、主張と証拠といった観点、あるいは第三者機関としての視点という点で不慣れな面もあり、法曹出身の審判官として、いろいろと協議しているということでした。
 税務所の職員として働いていた方々が、第三者機関として、いわゆる古巣の税務所の判断について改めて審査というのは、これはもう制度的に難しい面があるというのはやむを得ないと思います。
 また、法曹ではないので、実体面と手続面を区別して思考するという訓練を受けているわけでもないので、この思考法はなかなか難しい面もあるのだろうと思います。
 ただ、もちろん税法については税務所の職員出身の方は実務を経験されたプロですので、逆に法曹出身者の方はその面で教わることが多々有るのだろうと思います。
 行政部内の最終判断となる裁決を行う機関としては、よく出来た機関なのだろうと思います。


 ちなみに私は、固定資産税という地方税に関し、地方自治体に対し異議申し立てを行い、自治体の行為が改善されたという経験はありますが、国税に関して、この審査請求手続を利用したという経験はありません。
 ただ、講師が言うには、たとえば税理士が代理人となっている件でも、やはり民法上の観点が重要であって、知識と経験が必要な案件で、弁護士さんに相談に行かれたらどうですか?と言いたくなるような案件もないわけではないということでした。
 また弁護士が訴訟代理人となって訴訟になった事案でも、審査請求手続の方を利用していてれば、もっと早く妥当な解決が導き出せたのではないかと感じる事案もないわけではないということでした。
 

 国税不服審判所の目的は次のようなものです。
 

「税務行政部内における公正な第三者機関として、適正かつ迅速な事件処理を通じて納税者の正当な権利利益の救済を図るとともに、税務行政の適正な運営の確保に資すること。」

 おもしろいのは、納税者の正当な権利利益の救済が目的だけではなくて、税務行政の適正な運営の確保にもある点です。
 そのためか、不当な処分の取消対象は、違法な処分だけではなくて、不当な処分も取消の対象になるようです。

 「違法」「不当」と聞いて思い出すのは、ある裁判官の言葉です。
 「違法判決」と言われたら困るけど「不当判決」と言われる分には仕方ないと思える、というものです。
 裁判ではそういう世界です。
 しかし、この審査請求、裁決においては、「不当」な処分も是正の対象とされるのです。
 
 裁判と、それ以外の似て非なる制度に手続き。
 いろいろとあります。またどこかでまとめたいと思います。
 相続でよく出てくるので依頼者の方々によく説明するのですが、普通に生活していたら、「裁判所」「裁判官」というひとくくりで、裁判所、家庭裁判所、訴訟手続、審判手続、裁判官、審判官、訴訟事項、審判事項の説明が難しいです。「既判力」って何という話も出てくるし。ホワイトボードに書いて、説明させていただくと、なるほどと納得はしていただけるのですが、その後、本当に腑に落ちているのかどうか怪しいことも多く。
 相続事件だと、下手したら、家庭裁判所と地方裁判所(高裁、最高裁)をいったりきたりということもあります。だから事件解決が長期化することも多く。前にもどこかで書きましたが、離婚訴訟のように、家裁で一元化するか、地裁でも判断可能とした方がいいのにと思います。
 
(おわり)
*京都地裁に行ったらよくよるお店、mamaroのスープカレーです。絶品! 
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