弁護士会活動

January 11, 2009

新年雑感-国連死刑廃止勧告・動かぬ日本政府・ピンと来ない法曹【大橋】

 2009年新年が明けました。
 本年もよろしくお願いいたします。

 既に松井も書いているとおり、2人とも3日からの事務所入り。
 私は13日提出期限の訴訟の陳述書案作りに勤しんでおりました。労働事件で事案複雑、かつパソコンメールをされない方なので、完成までに郵送2往復を見て日数ぎりぎり。
 新年一番の仕事としてはなかなかやり甲斐がありました。

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 年末に向けては、「派遣切り」が大きく問題化し、労働関係の弁護士団体も「なくせ!ワーキングプア」と題する企画を組みました。当事者の方々のお話を聞けば、「派遣さん」と呼ばれ、派遣先会社が必要ないと思えば仕事がなくなる不安定さと非人間的な扱われ方に憤り、「労働者派遣法はなくすべきです」という訴えには強い説得力がありました。
 (登録型派遣で働くということはそういうリスクがあるのはわかっていたはずだ、という意見も出てくるものですが、じっくり正社員就職の活動をする経済的な余裕がない場合が多いはずです。雇用保険制度の不備(あるいは「雇用保険に加入していないのは会社が悪い」ということを知る機会がなかった)、生活保護の運用の狭さの問題は大きいです。)

 また、生活保護支援関係のMLでも情報が忙しく飛び交いました。年末の「年越し電話相談会」企画とその後の生活保護申請フォロー、申請を年末にしてもすぐに決定が出ないので、その間をどこでしのいでもらうのか、等。

 東京の「派遣村」が日比谷公園という行政官庁の目と鼻の先で大きく営まれ、厚生労働省の講堂を開放させたり、生活保護申請時に一時金を出させたり、各区に5日ほどの審査期間で開始決定させたり(通常は14日ないしそれ以上かかるのが実状です)、目を見張る成果を勝ち取られました。
 多くの方々の正月返上の働きあればこそですから、本当に敬服します。

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 さて年明け。この2日間で「死刑」に関して考える機会が3回もあったのです。

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 1月9日、靖国神社と国に対して霊璽簿からの氏名抹消と損害賠償を請求している「合祀イヤです訴訟」の関係者の新年会があり、原告のお一人、高松の福善寺住職・釈氏政昭さんとお話しする機会がありました。
 (私は小泉首相靖国神社参拝違憲訴訟の松山訴訟の代理人となり、そのとき以来、釈氏さんと懇意にさせていただいています。)

 釈氏さんは以前からさまざまな市民運動に関わっておられますが、死刑廃止運動にも取り組んでおられて、たまたまこんな話になりました。
 「国が人を死刑にするということは、『お前もうダメだ』と国が決めて、いくらその人がやり直したくても殺してしまうということだ。人はいつかはふと気づいてやり直すことがあるはずだと思う。その機会を与えないのはおかしい。
 人が国から『お前は役に立たない』と決められて命を奪われる。それでは人は安心して呆けることもできない」
 (以上を温かみのある讃岐弁で話されました。正確な再現ができないのが残念です。)

 釈氏さんは対話の人です。靖国に祀られてこんなにありがたいことはないと強く信じている遺族とも、対話したいと願っています。
 こうしたふところの大きさを、私は敬愛しています。
 そして、こうした人への温かさ、見捨てない気持ちというか共感というか、そういったものが社会には絶対に必要だと思っています。
 (昨年の近弁連シンポ「罪をおかした人の更生保護と弁護士会の役割」もそれがテーマでした。)

 しかし、死刑宣告と処刑は、これに鋭く対立していると思います。

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 1月10日、「派遣切り」に反対する「なんば連続行動」という3日連続の路上企画の初日に2時間弱参加。
 
 寒い中でなんとなく雑談をしていますと、ベテラン労組役員の人が言いました。

 「弁護士さんと話する機会やから、堅い話になるけど、今度、裁判員制度が始まるやろう?あれで呼び出されたら、『死刑を言い渡せるか』とか聞かれるらしいねぇ。裁判員をやりたかったら、意に反して『言い渡せます』と言わなかったらあかんのか?」

 そんな報道もありました。もろに「死刑を言い渡せるか?」という質問はまさかしないと思うのですが、難しく言われてもよくわからないから平たく説明してくれと言われれば、裁判所はそのように聞くかも知れませんね。
 「裁判員をやりたくなかったら、死刑に反対ですと言えばいい」という方向での話は、半分ジョークのようにして語られています。

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 同じく10日の晩。アムネスティ・インターナショナル日本死刑廃止ネットワークセンター大阪の主催、NPO法人監獄人権センター(CPR)の共催で、「世界から見た死刑執行をやめない日本~国連自由権規約委員会・日本の人権状況審査の報告~」という企画に参加しました。
 国際人権法の村上正直先生、CPRの秋山映美さん、いずれも以前に交流を持たせていただいた方で、講演をぜひ聞いてみたいと思ったのです。

 日本は国連の国際人権条約自由権規約を批准していますので、国連から国内の人権実施状況について審査を受けることになっています。
 1993年の第3回定期報告書審議で、国連自由権規約委員会から日本に対する「最終見解」が出され、いわば宿題が出されました。国内の差別問題(在日韓国・朝鮮人、アイヌ、部落、女性、婚外子など)の改善、戦後補償としての年金差別解消、死刑の多数さの改善、被収容者の処遇の改善などです。

 1998年、第4回定期報告書審議で、また「最終見解」が出されました。「・・その勧告が大部分履行されていないことを、遺憾に思う」という恥ずかしい総評がされました。それから、また追加として、人権擁護機関の不存在の問題、婚姻での男女差別、永住者への再入国許可制度の適用問題、人身取引対象とされた女性等や性的搾取を受けた児童の保護、自白の強要や検察の証拠不開示問題などが勧告されました。

 そして2008年、第5回定期報告書審議があり、また「最終見解」が出されました。「委員会は、締約国の第4回定期審査後の見解で発出された勧告の多くが履行されていないことを懸念する。」というまたまた恥ずかしい総評です。そしてまた追加として、従軍慰安婦問題、外国人研修制度の問題、難民認定制度の問題、戸別訪問禁止などの表現の自由と参政権に対する不合理な制限の問題、性的マイノリティに対する差別、アイヌ及び沖縄の人々の先住民族性の否認などの問題が「要改善リスト」に加わりました。

 中でも死刑問題については、第4回最終見解では「日本が死刑の廃止に向けた措置を講ずること」という勧告であったところ、今回第5回の最終見解では「世論調査の結果にかかわらず、締約国は死刑廃止を前向きに検討し、必要に応じて国民に対し死刑廃止が望ましいことを知らせるべきである」という勧告となりました。

 以上は、講演された大阪大学大学院国際公共政策研究科教授の村上正直先生のお話から一部を要約させていただきました。

 また、CPRの秋山映美さんからは、ジュネーブの審査で日本のNGOがどう日本国内の実態を訴えたかということと、審査員の審査での模様の報告がなされました。
 日本からは外務省担当者だけではなく、警察庁や法務省などの担当者も出向いたようですが、「日本ではこうなっています」という事実説明のみで、かみ合わず、審査員から強く言われても「??」という状態だったようです。

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 私は、もう一昨年前になりますが、ホームレス問題について、社会権規約の政府報告書の取りまとめにあたる外務省人権人道局の方のセッティングで、厚生労働省と国土交通省の担当職員に集まってもらい、質疑応答の機会を持っていただいたときのことを思い出しました。参加したのは大阪弁護士会のホームレス問題部会員6名。場所は霞ヶ関の外務省でした。

 その時感じたのは、「外務省は内政の権限がない」という厳然たる縦割り行政の限界です。
 外務省はとりまとめに過ぎず、政府審査の期限が近づくたびに担当省庁に「進みましたか?」と聞いて結果をまとめるだけ。
 おそらく担当省庁は、外務省から「進みましたか?」と言われると、過去のファイルを引っ張り出し、前の担当者が書いたものをベースに現状報告を書いて提出するだけなのでしょう。要するに、ずっと政策として継続して取り組む体制になっていないようなのです。

 法務大臣がなんの躊躇もなく死刑を執行し続け、「法の適正な執行である」として問題意識がないのは、日本が国際条約を批准してその制約の下にあるということを思考から排除してしまっているのでしょう。

 それは、実はひとり法務大臣のみを、あるいは法務省のみを責める問題ではありません。法曹界(つまり裁判所・検察庁・弁護士会)が「国際条約(特に人権関係)」を日本の法体系の外であたかも「参考程度」にしか考えていないと言ってもよいくらい、一部でしか関心を持っていません。
 
 韓国の国家人権委員会のように、独立の機関が人権を担当し推進する機能を持たないと、現在の日本が人権の国際水準を満たすのは絶望的ではないかと思います。

 「世論調査の結果にかかわらず、締約国は死刑廃止を前向きに検討し、必要に応じて国民に対し死刑廃止が望ましいことを知らせるべきである
 政府がすべきこと、そして弁護士が大きく声を挙げるべきことはこれなのでしょう。
 「死刑執行停止」よりも「死刑廃止」と言い切った方がよいのではないかと。

 そして思うことです。
 死刑の対象となっているのは、既に国家機関により自由を奪われている力無き一市民です。
 彼・彼女にどういう環境を提供するのか。冷たい拘置所暮らしで改心の情など芽生える機会があるのか(有罪が前提ですが)。それでも「死刑」を宣告してしまうのか。
 結局、「国家による市民排除の論理」の象徴的な一つが、死刑制度ではないでしょうか。

 そして本年5月から、裁判員が死刑求刑の予想される事件の審理に参加します。
 裁判員にも期待します。「先例にならって」死刑の判断をしないでください。個々の被告人とよく向き合って、彼・彼女にこれから国が提供できるものは「死刑」だけなのかを考えてください。
 弁護人の力量も相当問われます。裁判への恐怖感あるいは諦めに固まっている被告人に、どう人間性を取り戻させるのか(有罪が前提ですが)。

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 今日明日で、2通の書面を仕上げないといけません。
 その前にブログを、と思って書き出すとこんなに長くなり、またしばらくご無沙汰してしまうかも知れません。
 いろいろと見聞して、思ったことをまとめていくのによい機会なので、もう少しこまめに書きたいと、思ってはおります。

 

December 06, 2008

11月のレポートその1 「更生保護と弁護士会の役割」シンポジウム【大橋】

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 このごろ貫禄出てますか?
 トレンチを着こなそうと頑張っている大橋です。

 12月を迎えて、11月に取り組んだ企画2件についてご報告したいと思います。
 まず「その1」。

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 11月28日(金)、滋賀県大津市で、近畿弁護士会連合会の人権擁護大会が開かれました。
 その第1分科会で、「罪を犯した人の更生保護と弁護士会の役割」と題する公開のシンポジウムがありました。

 「更生保護」とは誰でも知っている言葉ではないと思いますが、罪を犯して刑事手続(警察・検察による捜査、刑事裁判)を終えた後のフォローのことを指します。

 公の機関としては、法務省の一部署である「保護観察所」が担っていますし、地域には「保護司」という方がいらっしゃいます。また、「更生保護女性会」という団体に入っていらっしゃる方もおられるのではないでしょうか。

 少年時代に保護観察処分を受けて保護司さんのお世話になった方も、子どもさんが現にお世話になっている方もいらっしゃるでしょう。

 2007年にこれまでの法律の全面改正で「更生保護法」が施行されました。これまでの保護観察では「監視」が弱くて再犯を許してしまっているという批判を受けたものです。
 
 果たして、更生保護の現場ではどのような苦労があるのか? 
 また、「更生保護法」はどう評価すべきか?
 そして、弁護士また弁護士会は更生保護とどのように関わるべきか?

 こういった問題意識の下、私たちは実行委員会を組み、基調報告書を作成しました。
 近畿にある更生保護施設(帰住先のない人を対象とした施設)もほぼ全部訪問しました。

 (ちなみに写真の「更生保護法人泉州寮」は、大阪府内にある、少年のための専門施設です。)

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 シンポジウムでは、大津保護観察所長・吉田研一郎さん、更生保護施設和衷会の施設長・加藤吉宏さん、NPO法人神戸の冬を支える会事務局長・青木しげゆきさん、九州大学大学院法学研究院教授(刑事処遇論)・土井政和さん、そして弁護士であり保護司でもある野口善国さんにパネリストとして参加していただきました。

 また、会場特別報告として、「刑余者支援おおさかネットワーク準備会」と、「京都ダルク」から発言をいただきました。

 京都弁護士会の石側亮太さんと私がコーディネーターをしました。欲張ってテーマを盛り沢山にしたので、時間内にまとめるのが大変でした。終ってホッとしました。

 弁護士は、刑事弁護人の仕事をしますから、更生保護の対象となる人によく関わるのですが、刑事弁護が終了した後にどういったアドバイスをしてあげられるかというと、ほとんど知識がないのです。
 今回のシンポジウムでは、法務省が厚生労働省とともに取り組んでいる「高齢者・障がい者を福祉へつなぐ取組み」「就労支援の取組み」のこと、支援団体が取り組んでいる「居宅を確保し生活保護へつなぐ取組み」のことを広報する機会にもなったと思います。

 また、大阪弁護士会の人権擁護委員会と刑事弁護委員会有志による「押しかけ法律相談」から始まった、更生保護施設和衷会での定例法律相談の取組みも紹介しました。
 借金を負ったまま刑務所へ行き、出てきても「取立に遭うから住民票を移せない、まともな職に就けない」と悲観している人がたくさんいます。
 弁護士の取組みは、少しずつですが始まっています。まずは近畿の各弁護士会が取組みを始めることを決議しましたので、次第に広がっていくと思います。

October 26, 2008

10月のレポートその1 日弁連人権擁護大会(富山)【大橋】

 10月2日3日、日弁連人権擁護大会。富山へ行ってきました。
 2日が分科会で、3日が大会です。決議や宣言を採択します。

 2日は3つの分科会のうち、「労働と貧困」をテーマとするところへ参加。
 マスコミの関心も高く、翌日の北日本新聞にはこの分科会の記事が出ていました。

 3日の大会決議では、「貧困の連鎖を断ち切り、すべての人が人間らしく働き生活する権利の確立を求める決議」が決議されました。
 どうも日弁連の宣伝力もまだまだで残念ですが、決議内容は画期的だと思います。「正規雇用が原則であり、有期雇用を含む非正規雇用は合理的理由がある例外的場合に限定されるべきであるとの観点に立って、労働法制と労働政策を抜本的に見直すべきである。」と明確にされました。

http://www.nichibenren.or.jp/ja/opinion/hr_res/2008_3.html

 他に「安全で質の高い医療を受ける権利の実現に関する宣言」も出されました。
 医療事故調査制度に関して、また医療事故を起こさない人的物的態勢(医療関係者の労働条件も含めた)に関して言及した、これも画期的な宣言であると思います。

http://www.nichibenren.or.jp/ja/opinion/hr_res/2008_2.html
 ちなみに、あと一つは「平和的生存権および日本国憲法9条の今日的意義を確認する宣言」です。
 憲法問題で特にテーマを絞ったものですが、大会では「なぜ9条を守ると明言しないのか」との発言も複数出て、一番審議に長時間を要しました。弁護士の関心が引き続き高いテーマであることは間違いありません。

http://www.nichibenren.or.jp/ja/opinion/hr_res/2008_1.html
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 そして10月4日5日は、地元富山県弁護士会でプロデュースしてくださった公式観光に、大阪の弁護士複数で参加。
 1日目は、「立山カルデラ」という自然災害の脅威を知ることのできる「砂防博物館」の見学と、立山・室堂を富山県認定の「ナチュラリスト」の方の案内で歩くツアー、そして宇奈月温泉へ。

 天候に恵まれ、色づく立山の景色を堪能しました。写真ではあの360度の壮観は写せない!残念です。

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 宇奈月温泉ではトロッコ列車というものに乗って、黒部の奥の方まで行けるのですが、この切り立った峡谷はすごいです。列車の終点は欅平というところですが、ここから有名な黒部第四ダムまでは工事用の隧道しか通っていないそうで、これがまた温泉地帯を通るため大変な高熱だそうです。
 富山県弁護士会の方から、この隧道を通すための難工事を描いた吉村昭の小説「高熱隧道」の文庫本をいただきました。(希望者多数のため抽選で当たりました)
 戦時中に電力供給を確保するための国策として、沢山の地元の労働者の命を犠牲にしながら進められた難工事のことがよくわかります。
 その成果は今も壮大な黒四ダムとして残っているわけですが、そちらもまた行ってみたいと思いました。

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 宇奈月温泉に泊って夜と朝と温泉に浸かり、トロッコ列車にも乗りました。ちょっと雲が出てきて怪しい天気でしたが。
 宇奈月温泉の泉質は、さらっとしたクセのないものでした。川の水音を聞きながらの露天風呂は気持ちよかったです。

 さて、「宇奈月温泉」と聞くと、民法を勉強した人は「権利濫用」という言葉を思い出すはずです。

 我々弁護士は、「宇奈月温泉木管事件の現場はどこにあるのかな?」と半分冗談、半分本気で期待していたのですが、一部メンバーで「記念碑」のあるところへ連れて行ってもらうことができました!

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 これでもう思い残すことはないと満足いっぱいです。

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 富山はちょうど白エビの季節で、十二分に堪能させていただきました。富山はよいところです。

 そしてナチュラリストの方が「自然のフィトンチッドで精神が安定します。40分自然の中を歩くと、1カ月は持ちます」と言っておられたのも思い出します。

 富山では何時間もフィトンチッドを浴びましたが、そろそろ1カ月、また浴びたくなりました・・

(一方、この4日間のために、その後に仕事を押しやったのも間違いありません。しかし、弁護士にフィトンチッドを吸わせてくださると精神が安定しますので、よろしくご了解くださいますよう。)


August 04, 2008

人を裁くということ、そしてその後【大橋】

 しばらく更新を怠っていましたら、松井は夏に向けてパワーアップ!
 「双龍法律事務所」構想も復活していたのですね。

 しかし私は・・・私の元依頼者からも松井ブログを見て消極意見が来ました・・・

 こういう重要なテーマは、秋の涼風が吹くまで寝かしておいた方がよいと思いますねぇ。

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 さて、暑さに合わせて活動スピードを落としている今日この頃ですが、最近読んでいた本はこれらです。

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 左の「自閉症裁判」は、1年以上前にふと購入して、いつか読もうと置いていた本です。
 「浅草レッサーパンダ帽男女子短大生殺人事件」などと呼ばれている事件のルポルタージュです。

 一方、右の「続 獄窓記」は、元衆議院議員で黒羽刑務所で実刑に服してきた山本譲司氏の「獄窓記」の続編で、今年の2月に出版されたところです。

 この二つが、ちょうど私の中で旬を迎えました。

 今年、近畿弁護士会連合会が秋に開催する人権擁護大会シンポジウムの分科会の一つで、「更生保護」をテーマとすることになりました。
 今、実行委員会で準備中です。
 「更生保護」とは、刑事事件を起こした人の社会復帰のことです。

 私はもともと刑事政策という科目を司法試験で選択していて(10年ほど前まではまだあったのです)、いやというほど覚え込んだこともあり、刑務所や出所後のことには関心があります。

 最近、名古屋刑務所事件(刑務官が受刑者に高圧ホースで水を浴びせて死亡させるに至った事件)を契機として「監獄法」というカタカナの苔むした法律も改正され、様々に刑務所の制度は変わりました。

 一方、刑務所を出所した後あるいは執行猶予判決を受けて釈放された後の社会復帰への援助体制は貧弱です。最近、ようやく山本譲司氏の体験を踏まえた働きかけが一つの契機になって、高齢者や障害者の実態が明らかにされてきて、対策も考えられるようになってきました。

 介護の要るような高齢者、裁判という仕組みを理解しえない知的障害者が、なぜ刑務所の中にいるのか。これは衝撃的な事実でした。

 この衝撃は、検察官・弁護士・裁判官に向いて返ってきます。

 なぜ検察官は起訴するのか。起訴して実刑を求刑するのか。
 なぜ弁護士は不起訴に持ち込んだり、裁判になっても執行猶予をつけさせたりすることができなかったのか。
 なぜ裁判官は実刑を宣告して刑務所へ送り込んでしまうのか。

 被害者は、「社会に出てこられなくしてください」と言うでしょう。その気持ちを無視することはもちろんできません。
 しかし、刑務所に入れることが解決になるのではない場合もあります。
 その被告人が刑務所という場所で反省するならそれでよい。しかし、刑務所がいちばん生きやすい場所で、世間では辛くて生きていけないという状況の人である場合はどうでしょう。
 その人に温かく(時には厳しく)生活をサポートする人の輪が必要です。そして財政的根拠です。
 犯罪に追い込まれた境遇の人には、罪を罪として裁くことも必要ですが、刑務所に入れることが必須であるとは言えません。

 更生保護について勉強する中で、「罪を犯した人の社会復帰権」という言葉に出会いました。

 人間は、社会で生きていく存在だ。社会へ戻ることが権利なのだ。こういう発想は新鮮でした。

 シンポジウムの報告をどうまとめていくのか、今走っています。
 いや、まだ小走りというところです。バテないようにそろそろと。
 私はやっぱり松井ほど暑さが好きではないのです・・
 

March 24, 2008

「オイコス堺」の挑戦を見て【大橋】

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 3月23日日曜日、NPO法人OIKOSの設立記念パーティーが開かれました。

 OIKOSとはギリシア語で「家族」を意味するということです。
 大阪府ホームレス自立支援事業助成金企画に選定され助成金1000万円を得たことから始動し、堺市内に土地を購入して4階建て19戸のワンルームに談話室や管理人室を備えたマンション「オイコス堺」を建設し、自立支援(期間1年間)のケア提供事業を実施し始めているそうです。

 マンションの説明をしているのは「大家さん」の西口宗宏さんです。↑

 OIKOSの理事長は、西成でくろかわ診療所を開設している医師の黒川渡先生です。
 ちょうど3月22日に「野宿生活者と医療」というテーマで講演会をしていただいたのですが、この方です。↓

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 2005年に始動してから3年目、地元住民との話し合いがなかなか困難だったこと、入居開始をしたばかりの今も入居者のケアだけではない苦労があることなどがスタッフから語られ、大変な事業だなあと思いながら話を聞きました。

 地元の人は、「元ホームレスの人が集まって住む」ことに対して、並々ならぬ抵抗感を持たれたようです。

 しかし、ここは本当にすばらしいスタッフが集まって運営しているのです。医療・福祉・保健・心理・就労・そして法律の専門家が付いています。

 そして、元ホームレスの人たちはちょっと就労生活から外れてしまった経験があるにしても、ごく普通の人たちです。ケア付で十分社会生活が送れると太鼓判を押されて入居した人たちです。

 私たちからすると、一見「普通に社会で生活している」ようであっても周りからすれば迷惑な人、というのは沢山いて、ホームレスであったかなかったかというのは人柄の指標にはなりません。
 住処がなくなったがゆえに社会から排除されるのでは、まさに「格差社会・貧困問題」です。

 「オイコス堺」の挑戦を心から応援したいと思います。

*~*~*~*~*~*

 最後に、得意満面でMacを開けている松井です。↓
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October 14, 2006

「いま一度、死刑を考える~あなたが裁判員になる前に」報告【大橋】

「shikeiteisi.pdf」をダウンロード

 今日は、日弁連の主催する「死刑執行停止に関する全国公聴会」の第4弾、大阪公聴会が開かれました。
 これは、日弁連が「死刑執行停止法」の制定を求めるためのキャンペーン企画です。
 大阪公聴会は、テーマを「いま一度、死刑を考える~あなたが裁判員になる前に」としました。
 3年後の2009年からは、裁判員制度が始まります。
 我々弁護士など法曹関係者は除外されていますが、皆さんが裁判員に当たり、「死刑判決を言い渡すかどうか」を決める場面に立ち会うかも知れないのです。

 松井が小説家の高村薫さんの講演に行きたかったと残念がっていましたので、早速ですが高村さんの基調講演についてご報告しておきましょう。

 高村薫さんは、最近、死刑問題でのコメントを新聞紙上によく出されています。
 ほとんど外で講演することがない方のようですが、この企画には、人づてでの依頼で講演をお引き受けいただきました。

 高村さんの人柄についてですが、大変丁寧な物腰の、穏やかな方なのです。全然偉ぶるところなどありません。写真だと愛想のない感じに写ってしまうのがソンだなあ・・というのは私の感想です。

 そして、基調講演を45分間という時間でお願いしていたのですが、おそらくきっちりと組み立てをしてこられたのでしょう、全く言葉の無駄のない講演でした。この緻密さが小説の書き方にも反映しておられるのでしょう。

 そして、内容です。

1 まず、私たちは、死刑というものの実態について、何も明らかにされていない。知らない。しかし、裁判員制度が導入されれば、これを考えざるを得ない立場に立たされる。

2 そうなるのであれば、どうしたらよいか。できるだけ具体的に、死刑とはどういうものかを想像してみることである。
  私は臆病である一面、知りたがりで、死体というものがどのようなものかを知るため、大学の法医学教室に出入りしていた。また、親族の死に4回立ち会っている。病院のベッドの上で亡くなるという平和な死でも、やはり非日常的である。事件で死ぬ、あるいは刑死するというのは、もっと非日常的なこと。首に縄を掛けられて、下の板が落ち、体が垂直落下する。全身がけいれんするに違いない。目を覆うばかりの光景であるはず。
  その光景を想像して、どう感じるだろうか。
  核保有国は、核で戦争を抑止すると言いながら、実際の核の被害を知らない。それと似ているが、私たちは死刑が必要だと言いながら、実際の死刑の実態を知らない。
  今や、死刑廃止された国も多い。死刑がどのようなものかを知り、それが存置されるべき根拠(プラスとマイナス)を明らかにする必要があるのではないか。
  これまで日本で死刑の情報が何ら公表されてこなかったのは、あまりに残酷で公表に耐えないからではないのか?

3 次に、私が裁判員になったときのことを想像してみる。
  私はどうしても死刑を言い渡せそうにない。その理由は4つある。
 ① 死刑の基準が曖昧である。最高裁判決の基準に沿って、広島の女児殺害犯人は無期懲役とされたが、最高裁判決の基準に従う必要がないとして、奈良の女児殺害犯人は死刑判決を受けた。裁判官でもこれだけ判断が違う。裁判員は何を根拠に判断すればよいのか分からない。
 ② 刑事裁判の判断は難しい。被告人が否認し、状況証拠しかないとき、有罪か無罪かさえ判断に迷う。そのとき、裁判員は有罪かつ死刑判決まで出してよいのか。
 ③ たとえ明らかな「死刑事案」であったとしても、なぜ裁判員であるからといって私が死刑を言い渡すことができるのか、それが納得できない。
 ④ もし判断が間違っていたとき、どうするのか。一市民が民事ではなく刑事の裁判に駆り出されて、死刑判決の重荷を背負わされる。一生忘れることのできない経験として残る。一市民を刑事裁判に駆り出すというのなら、せめて、死刑は廃止するか停止するかしてほしい。

4 最後に、死刑制度は誰のためにあるのかを想像してみる。
  死刑存置派の人も多いが、これは消極的存置賛成ではないかと思う。反対派が「人道上の理由」を言うと、「では被害者の気持ちはどうなる」という反論に答えきれない。
  現状は、死刑とはどのようなものかを知らされていないから、議論も抽象論にしかならない。抑止的効果が言われるが、これも抽象論である。死刑には、再審というやり直しの機会がセットであろうが、この門戸も大変狭い。
  それでは、誰のためにあるのだろうか。
  被害者遺族のため、という議論がある。しかし、それは違うと思う。被害者遺族が負うのは、喪失感である。喪失感を一時的に埋めるなぐさめになるのが、「犯人に対する怒り」である。しかし、犯人が死刑により存在しなくなると、後にはやはり喪失感が残るだけである。私はそのことを阪神大震災を機会に考えるようになった。
  それでも、被害者遺族の一時的ななぐさめのために死刑は必要だ、と考えるかどうか。私は、死刑は「法律のためにある」としか考えられない(人のためではない)。そして、死刑判決・死刑執行は時の政府の考えで方針がコロコロと変わってきた。人の命がこのようなことで生かされたり殺されたりしてよいのか。
  「国民感情」という議論もある。しかし、「人の噂も75日」である。忘れないのは被害者遺族である。しかし被害者遺族は先に述べたように喪失感こそが問題。

 ・・概略、このような問題提起でした。

 大阪公聴会が掲げたテーマに沿って、「裁判員としてあなたはどう考えるか」を深く考察していただきましたが、会場も緊張し集中してこの講演に聞き入っていました。

 本当に、裁判員裁判で死刑事件を取り扱うということは残酷です。一市民である裁判員6名が、協力して、被告人を死刑台に送る役割を果たすことになるのです。
 奈良の女児殺害事件の被告人は、控訴を取り下げてしまいました。「自分たちは死刑判決をするが、また控訴審で審理してもらえるからいいだろう」ということには必ずしもならないのです。
 裁判員制度導入の前に、死刑をぜひ停止(できれば廃止)するべきだと思います。
 死刑事件について「必要的上訴制度」を導入すること、即ち必ず控訴審上告審で判決をチェックすることも、経過的に導入が検討されるべきだと思いました。
 

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