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August 2011

August 29, 2011

死刑の存廃をめぐって【大橋】

 眠れるブログになりかかっていますが(笑)、久々にアップしてみたいと思います。

 8月27日(土)午後、神戸・クリスタルホールで、近畿弁護士会連合会・人権擁護委員会の夏期研修会がありました。

 テーマは「死刑を考える日」。

 来る10月6日、香川県高松市で日弁連の人権大会シンポジウムがありますが、その第1分科会が

 「私たちは『犯罪』とどう向き合うべきか?ー裁判員裁判を経験して死刑のない社会を構想するー」

というテーマで、本研修会はそれのプレシンポジウムという位置づけでした。

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 このシンポジウムでは、大学生・法科大学院生をパネリストとする死刑存廃の議論、事前に集計していた弁護士アンケートの結果発表、そして、オウム真理教信者の日常を追うドキュメンタリーの自主制作、そして死刑囚を取材し「死刑」という本を出版された、森達也氏の講演がありました。
 森達也氏の講演の中では、森氏が死刑廃止国・ノルウェーでオスロ刑務所他を訪問したときの映像が上映されましたが、日本の刑務所の監視の厳しさとは雲泥の差です。


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 以下は、研修に参加しながら考えたことです。

 私は、死刑廃止に賛成です。森氏も死刑廃止の明確な見解を持っておられました。

 森氏は、死刑囚との面会を経験し、ノルウェー訪問をしたりされる中で、「死刑を存置する意味がわからない」と実感されたとのこと。

 そして、「講演していて、『あなたは、自分の妻・近親者が殺されたときにどういう気持ちになるか考えたことがあるか』と質問されることがある。私にはっきり言えるのは、『そういう事態は想像できない』ということだ」と言われました。

 私はその言葉に共感して思考が回り出し、その後の森氏の話の流れは今覚えていないのですが。

 そのとおりです。私も同じです。
 私には殺人被害を受けた遺族のご依頼を受けたことはまだありませんが、被害感情を訴える依頼者または相手方との接触は、沢山あります。
 それでも、それらは「自分のこと」ではないため、我が身に起こったことのように追体験することはできません。

 しかし、その第三者性が、物事を総体的に捉える客観性を担保するのだと思うのです。

 人が感情に突き動かされるとき、感情は理性を乗り越え、本能をむき出しにさせます。
 それは責められることではないけれど、それをそのまま尊重して、周りは押し黙らなければならないか?

 周りは理性的に出来事を理解し、適切に解決していく役回りがあるのではないか?

 刑法・刑事訴訟法が整備され、自力救済が禁じられたのは、理性による人の集合体のルール作りに他ならなかったのではないか?

 その中で、国家権力が人の命を奪う「死刑制度」を置くことは、やはり、理性による問題の解決に矛盾を来していると、私は思うのです。

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 もう一つ、思ったことですが。

 弁護士アンケートの中で、回答率は5パーセント弱と少なかったのですが、回答者の中では若手に存置論者が多いという傾向が出ました。
 それから、男女比では女性の方が廃止賛成が多かったです。

 女性に死刑廃止賛成が多いのは、マスコミのアンケートでも同様だったという記憶です。

 なぜだろうか、と思います。

 女性は妊娠以降、子どもを産み育てる責任を事実上負っています。育ては母だけの責任に帰することはできないと思いますが、結局、責任を負うことが多いです。
 絶え間ない気遣い、莫大な労力、際限のないように思える繰り返しの日常。その中で、唯一、子どもの全幅の信頼に癒されながら、壮大なエネルギーを子育てに注ぐという経験をするし、直接していなくてもそれに触れる機会が多いです。

 それを前提とすると、女性には、「生きている価値がない、死刑だ」とは、誰に対しても、簡単に言えないという感覚があるのではないか。

 もしそうだとすると、日本で死刑廃止論議が盛り上がらないのは、女性の社会的発言力が低いからでは?

 ・・一つの試論です。

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