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January 2009

January 31, 2009

尋問手続き【松井】

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*南森町、イル・チプレッソの鴨肉です!ガッツリ!

 先日、大橋ほか3名、総勢5名の弁護士で担当している事件の尋問手続きでした。
 朝10時から午後5時まで、途中、昼の休憩と2回ほど、5分程度の休憩をはさみ、びっちりと総勢4人の証人と被告当事者の法廷での尋問手続きでした。
 その日の晩は、大橋と二人、がっつりと鴨肉を食べました。


 尋問手続きが行われるのは、一審訴訟の手続きの最後の最後の場面です。この時点で当事者の主張と立証(出すべき書面等の証拠は出している)は全て尽くされていて、残るは「人証」だけという段階です。人間が証拠となります。
 で。
 だいたいこの時点で、判決に対する裁判官の心証は形成されています。原告の請求に理由があると認められるのか、認められないのか。請求認容か、請求棄却か。
 人証の取調べ手続きである尋問手続きは、いわば最後の確認作業のようなものです。
 で。
 なぜこんなことが分かるかというと、12年前の司法修習手続きではまだちゃんと、刑事裁判4か月、民事裁判4か月、検察庁4か月、といったように、各部署に配属されての修習手続きがあったからです。
 裁判所の立場でじっくりと事件を、弁護士の代理人活動をみる機会があったからです。
 
 で。
 なので尋問手続きが終わると、たいていはもう裁判所は、手続きを終結させて、判決言い渡し期日を指定するというわけです。
 だいたい2か月後です。


 今回の尋問で感じたこと。
 尋問。やはり声の力が大きいということです。
 声音。トーン。張り。リズム。
 もちろん、何を、どう質問するかということが第一です。
 でも。それ以外にも。他の大事な要素がある。
 
 刑事事件の方では、いよいよ裁判員裁判が始まります。
 その際、弁護人となる弁護士は、裁判員に対して活動することとなります。
 このときもちろん裁判員となる人は、多くが初めての裁判、しかも刑事裁判です。
 いかに分かりやすく説明、アピールするかが重要となります。

 このとき。
 何を、どう質問するかということがもちろん大切ですし、声音やリズムももちろんより重要な意義を有することに成るかとは思います。

 でも、尋問で何よりも大事なことは。
 独り善がりにならないということだと思います。
 これの検証が、弁護士になってしまうと非常に難しい。
 だって。
 検証しようと思ったら、裁判官に「今日の尋問はどうでしたか?」と訊くしかない。
 でも、そんなことを訊いても裁判官は教えてはくれないし、判決書きに書いてもくれない。
 裁判所修習中、裁判所の立場で事件をみたら、まったく検討違いともいえる質問を熱心にしているのに、終わってから廊下で依頼者に対して、得意気に、今日の尋問はかなりうまく言ったと語っている様子を見て、気をつけないといけないと思ったことを思い出します。
 
 でも、これから。
 裁判員裁判になったら、弁護士の独り善がりの尋問はなくなっていくのでしょうか。
 今は、あちこちで模擬裁判が開かれています。
 その講評によって、フィードバックがされています。


 大阪弁護士会の月報から。
 12月の模擬裁判で裁判員役をした新聞記者の方の評。
 「一方、弁護側は事前に資料を配らずプレゼンテーション一本勝負。『弁護士をみてほしい』という狙いなのだろう。だが裁判員席の私は、思いがけない感覚に直面した。資料なしで説明が始まると『聞き漏らしてはいけない』と不安に陥るのだ。
 メモ取りに必死で、視線は手元に集中する。弁護側の狙いは逆効果に終わり、退屈な印象ばかりが残った。評議では、検察側の懲役八年の求刑に対し懲役三年の実刑判決になったが、裁判員の印象は概して弁護側に厳しかった。もっと効果的な弁護なら、執行猶予の可能性もあった。」(月刊大阪弁護士会1月号 植松正史)

 先日の私たちの尋問はどうだったのだろうか。
 退屈?
 少なくとも、裁判員裁判でない限り、通常の裁判では、アピールすべきは裁判官。裁判官の心に響いただろうか。
 万が一響いていなかったら。押し掛けてガンガンとドアをノックして、響かせねば!!それが仕事。

(おわり)

*珈琲を飲んだら、カップの底から「大吉」が!!
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January 29, 2009

GTD+RTM+iPhone= !!!

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GTD+RTM+iPhone=!!!

 GTD+RTM+iPhone
 このアルファベットの羅列でピン!と来たひとは同じ志向をお持ちです。
 Getting Things Done に、Remember The Milk、そして言わずと知れたApple社のiPhoneです。

 つい最近、RTMを知り、iPhoneで試し始めました。
 ついに、 Getting Things Done の実行か?!と自分でもかなり興奮しました。


 Getting Things Done は、そのものの本を読み、試したことはあります。
 確かに、頭の中の気になることを徹底的に、時間をとって書き出すと、かなりの爽快感を味わえます。
 しかし一番大事なのは、それを続けること。
 Review が一番大事です。
 しかし、一番実行が難しいのがコレです。
 ノートに書とめ、常にノートとペンを持ち歩いていました。
 寝るときは枕元に。

 しかしついついおっくうで見返すことを忘れてしまいます。

 ところが!

 iPhoneで、Todo 管理のソフトツール、RTMを使ってみると!

 まさに、このGetting Things Done の実行に繋がります。
 やたら仕事が進むと実感していました。

 で、理由を考えるに。

 昼、ちょっと一人でサクッとご飯を食べに行くときでも、一応、携帯電話はもっていきます。
 注文して、品が出てくるまでの約8分間。
 この間、一人で手持ち無沙汰でもあるので、iPhoneをいじります。
 このとき、ついつい、あの可愛い牛マークに洗練されたデザインであることもあり、RTMを起動し、チェックしてしまうのです。 
 次にやることは何か、やり忘れていることはないか。
 ここで、こまめにReviewを勝手に、自然に実行しているのです。

 その成果。
 おそらく潜在意識に指令が埋め込まれ、さくさくとやるべきことをやっていくことが出来るのです。
 サクサク。
 これに快感を感じます。

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 すごいよ、GTD+RTM+iPhone !

 ただ、もちろん、万年筆で紙質のいい紙、ノートに文字を書き付けるのも楽しいし、
 MacBookAirにいれたマインド マネージャーで、事実関係を整理したりするのも楽しい。
 エクセルで、遺産分割の協議案を作成しているのも楽しい。
 ワードで、尋問事項を考えて書き連ねていくことも楽しい。
 いろいろと楽しいことがあります。

 他方でもちろん、いろいろと腹の立つこと、不愉快なことも日々、あります。
 腹のたつことは、まさに「腹いせ」にブログに書いてやる!と思ったりするのですが、そんな不愉快なことを書いても読む方は面白くはないと思うので、そういったことは自分でも前向きに消化できてから、反面教師、得た教訓として備忘録代わりに書こうと思います。
 ほんと、いろいろと勉強になります。これはイヤミだけど。
 一方で、本当に尊敬できる言動をとられ、ああありたいものだと勉強させてもらう方もいらっしゃいます。
 世の中、よく出来ているなと関心します。
 心広く、自分を客観視できる人でありたいです。
 余裕のない人って、目の前のことに反射的に対応するだけ。空から自分を見下ろすという視点がなく、そのため気持ちに余裕もなくって、顔にも笑顔がないというのが共通項かと。
 笑顔がないからそうなるのか、そうだから笑顔がないのか。
 出来ることからということで、まずは顔だけでも笑顔でいようと思います。電話のときももちろん!

(おわり)

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January 25, 2009

Happy Birthday,Yoshiko Matsui!【大橋】

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 1月中にアップしなきゃ、ということでお送りします。

 当事務所の恒例行事、バースデーケーキを食べる会にて。

 虫のボールペンが誕生日プレゼントだったとは、松井ブログで知りました。
 かなりリアルに、会議室を彩っています。

 私は日曜ですが瀬戸際の書面書きに迫られています。
 ブログに時間を取っていては依頼者に顔向けできない・・との後ろめたさに、ブログ短め。

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January 24, 2009

法律の面白さ〜著作権法の目的〜【松井】

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*刑法の主観説と客観説の対立の中で。「だったらそれは、『目を瞑れば世界は消える』というのと同じだ!」みたいな批判の有名なフレーズがありました。法律論って面白い。


 勝手にわたしの心の師匠とさせてもらっている、shioさんこと塩澤一洋教授(成蹊大学)が書かれた論説「公表支援のフレームワークとしての著作権法の意義」(成蹊法学第68・69合併号)を読みました。
 頭の中に手を突っ込まれ、脳みそをグラグラと揺すられているかのような知的興奮を久々に味わいました。
 やっぱり法律って面白い!


 最近、以前の記事で触れた税理士の方々がメインのMLに入れていただいているおかげで、「弁護士」が世間一般でどのような位置づけなのか(何にでも噛み付く狂犬?)ということがおぼろげながら分かってきたような気がしているなかで、「法律って面白い!」、「法律って楽しい!」などと感じる自分を自覚すると、やっぱり奇人変人の類なのだろうかと憂鬱にもなるのですが。
 でも。
  法律って、楽しいっ!
  法律を使って考えるって、面白い!
 と表現せざるをえません。しかもこの面白い事柄を仕事として使って、人の役に立って、お金がもらえる。素晴らしい、の一言です。
 まあ、実際は、働いていると、純粋な法律の解釈論が問題、争点になるってことはあまりなく、建前、利害、無謬性、感情のせめぎ合い、実利など諸々の要素で紛争が成り立っていて、法律論、判例を振りかざしてズバッと解決!ということにはなりにくいのが辛いところではあるのですが。そういうところはジッと我慢して、相手の方、担当者の方の言い分にジッと耳を傾け、妥協点を探り出そうとします。


 そんな日常の中。
 塩澤一洋先生、「公表支援のフレームワークとしての著作権法の意義」。

 著作権法の目的から著作権法の意義を導き出すとどうなるか、それもその意義とは、「創作のインセンティヴ」ではなく、「公表支援としてのフレームワーク」ではないのかという位置づけでもって、改めて著作権法、さらには憲法を視野にいれて、もう一度「著作権法」を見直す、という意欲的な論文です。
 「『著作権が得られるから創作する』という著作者は少なかろうが、『著作権があるから安心して公表する』という著作者の心理は働くように思うのだ。」(262頁)。
 
 「文化的所産を多様化させていく動的な循環システムとして著作権法を捉え、そのシステムにおける『要点』としての意義を『著作物の公表』に見いだし、『著作物の公表』が著作権法システムの循環を進めると把握したうえで、著作物の公表を支援する装置として機能する著作権法の姿を描こうとするものである。」(240頁)、この論文。
 著作権法に興味のある方は、必読ではないかと思います。


 司法試験受験生の当時、まだ出版されたばかりでありながら、新しい刑法の流れを作ると一部では注目されていた前田雅英教授の「刑法総論」と「刑法各論」。
 オーソドックスに行くのが王道とされた受験道のなか、新しいもの好きのわたしはつい、前田刑法を読んでしまいました。
 そして。
 打ち震えるような感動を覚え、異端説、少数説と言われた前田刑法を勉強し続け、「前田説」で論文答案を書き続けました。
 I love Maeda Keihou! でした。
 総論として一貫した価値観が打ち立てられ、その価値観をうつしこんだ基準を立て、それでもって各論も美しく解決していく前田刑法。
 
 前田刑法に感じたときのような、理論の美しさを感じました。
 塩澤一洋先生「公表支援としてのフレームワーク」

 少数異端説だった前田刑法は、その後、やがて王道となり、数年後、前田先生は刑法の司法試験委員にまでなりました。
 

 わたしが司法試験に最終合格した年、1996年、10月の口述式試験の刑法の試験委員は、あの憧れの前田先生でした。

 目の前にあの前田先生が!!
 はやる心、繰り出される刑法の事例とそれに対する質問!
 ???
 意味が分かりません。でも。沈黙は大減点です。
 口からでまかせに適当なことを喋ります。
 目の前の前田先生の顔が曇ります。
 ああ、わたしはここで落ちるのか!?
 助け舟らしき質問がさらに繰り出されます。
 ええっい!
 前田先生だけが使用される、呪文のような基準、合い言葉。
 「通常一般人なら当該犯罪類型についての違法性を意識しうる事実の認識」

 呪文のように、質問に対する回答の言葉に何度も、何度も散りばめました。
 わたしは、前田先生、あなたの本を読んで、あなた一筋で刑法を勉強しました!
 必死のアピールです。そんなわたしをあなたは落とすのですか!?

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 この年、なんとか口述式試験も落ちることなく、無事に最終合格できました。
 この粘り強さが仕事にも生きています。きっと。全てにおいて、必死です。粘ります。
 そんな思い出の「前田刑法」。

 前田刑法のことを思い出しながら、塩澤一洋先生の論文を読みました。
 この論文も、やがて、「塩澤著作権」と言われるような新しい流れの最初の一石になるような気がします。
 汚い法律ももちろんありますが。でも。法律って、美しい。崇高な理念を感じさせてくれます。
 憲法に感動する気持ちと、同じです。著作権法に感動、塩澤著作権法に感動。
 こんな感動を与えてもらったことに感謝。ありがとうございます、塩澤先生。

(おわり)

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January 23, 2009

弁護士Mのある一日【松井】

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6時前、起床
水飲んで、ヨガの太陽礼拝。
ちょっと勉強。

バナナと珈琲。そう、朝バナナダイエット、実践中。

8時30分、家を出る。
移動中は、iPodで音楽やオーディオブックを聞くか、本を読む。
本は、「ゴーン道場」をもうちょっとで読み終わる。
9時20分、南森町駅で降りて、歩いて事務所へ。
いつものコンビニで「黒酢」ドリンクを買い、歩きながら飲む。

9時30分ころ、事務所、着。
メールチェック等。

10時、依頼者の方と打ち合せ。
相手方との今後の交渉に向けての方針確認など。
11時40分、終了。

慌てて自転車をこいで、弁護士会館へ。
消費者保護委員会2部会の月に一度の定例会議。
各種予定を確認する中、2月、新人弁護士向けへの2部会の宣伝を担当していたことに気づく。すっかり忘れていたことに呆然。
民法が改正されたり、弁護士費用のクレジット払いが可能となるか、最近の被害事例で水回り修理のトラブル事例の報告など。てんこもり。

12時50分、会議を抜け出し事務所へ。
13時、依頼者の方と打ち合せ。
これもまた相手方との交渉に向けて。
14時10分、終了。

慌てて自転車をこいで、大阪地方裁判所へ。
14時20分、依頼者の方と待ち合わせのうえ、調停期日へ。
民事10部、建築専門部での調停期日。
交渉は膠着状態に入るが、ぼそっとわたしが呟いた問題点指摘の一言で、依頼者の方もこれを受け、新しいアイデアが口にされる。
裁判官もこれに乗ってきて、話を進めようとし、やはり調停、交渉はアイデアだと改めて実感する。
一瞬で、くっらーかった場の雰囲気が、一転、これで調停が成立するかもという希望で皆がちょっと明るくなる。そんななか、このアイデアがならなかった場合のこと、その場合の返事を考えておいて欲しいと同席した相手方にいい釘を指す。
交渉は、皆が納得できる途の模索でしかない。
でも、その道を作ることができなかったら、シロクロ付けるしかない。
激流に向かって、みんなで手をつないで崖からジャンプであっても。
裁判のロシアンルーレット的な面を弁護士なら誰も否定は出来ない、はず。
それでも、やらないといけないときもある、ということ。

16時前、事務所に戻る。
コンビニで買ったどんべえとサラダを食べる。どんべえ、美味しい。これが今日の昼ごはん。

そして。
朝からこれまでの間にかかってきた電話に対し、電話をし直す。
し直しつつ、また新たな電話がじゃんじゃんかかる。
しかも。
電話の相手が交渉相手だったりして、電話1本、30分を超えたりする。
交渉ごとの電話が2つ、3つ、同時進行。
電話しつつ、メモしつつ、今後の方針に頭を巡らせる。
それぞれ依頼者の方への報告、今後の協議。
アイデア、アイデア。

17時30分ころ、ようやく一段落。
スタッフが用意してくれていた、お誕生日ケーキを皆で食べる。
ありがとう。感謝。

18時10分、慌てて事務所を飛び出し、淀屋橋駅へ。
電車に揺られ、
19時、また違う事件の交渉相手の方との約束の場所へ。
そこで、90分、交渉。協議終了。
信頼関係を築けた、今後、協議成立にむけて前向きに話をしていけるとの感触を得た。錯覚?

20時40分、もう事務所には戻らず自宅へ。
iPodに入れた、オバマ大統領の演説CDを聞く。もし、日本がアメリカ合衆国の1つの州だったらという想像が頭に沸き起こる。

21時30分、帰宅。
23時、就寝。


 疲れたと思い、やはり年をとったなと思う。
 弁護士1年目、2年目のころは、こんな生活でありながら、最後、大人しく自宅には帰るというのではなく、同じように21時ころまで仕事をしている友人を誘い、21時過ぎにご飯食べに出かけ、飲んで、喋っていました。あるいは、事務所に戻り、もう一仕事したり。

 人生のライフステージに応じた働き方を考えないと。いつまでも若くはない。
 ただ、結局、電車に乗っていても、自転車をこいでいても、ご飯をたべていても、依頼者の方のこと、事件のことが頭を離れるということはなく、起きている間はどこかで何かを考えている。
 どう話を進められるのか?法律構成をどうするか?証拠は何があるか?関連する判例は?相手の望みは何なのか、どうしたら納得するのか?
 膠着状態だったところに、良いアイデアが浮かんだりしたときは嬉々としてしまう。たぶんみんなこんな働き方だと思う、多くの弁護士は。自虐的喜びか。
 
(おわり)
 
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January 17, 2009

ノストラ会談、覚書〜法律事務所経営者の苦悩〜【松井】

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*1月。誕生月です。そうです、山羊座のB型。Tさん、Cさん、ありがとうございました! ↑ 虫型ボールペン!
 

 昨年来、大橋とよく、南森町ノストラ(カフェ?)で会談を開いています。
 ついこの前の会談で話していたこと。
 ノストラ会談メモとして、以下に。


 弁護士として、大阪ふたば法律事務所として、目標はいったいなんなのか。
 
 去年、大学院で経営学の授業を40時間ほど受けたとき、過去100年ほどの経営学の研究の歴史をひもといた結果としてもまずはっきりしているのが、会社はまずビジョンありき、ということでした。
 賃金体系でもない、労働スタイルでもない、もっとも大事な上位概念は、ビジョンだということでした。

 1900年代始めだったか、T型フォード車が大量生産されるようになり、そのちょっと前くらいから、管理会計という考えが形を持ち始めました。
 いかに効率よく工業製品を生産するかという発想です。
 そういった研究が進む中、意義深い研究成果が発表されたということでした。

 それは、さらに効率性、生産性を上げるにはどうしたらいいかということで、ある研究チームが工場の調査に入り、工場で働く従業員に聞き取り調査をしたというものでした。
 ところが、聞き取り調査をしただけで、生産性が上がったという結果、数字が出てきたのです。
 やったことといえば、まだ聞き取り調査だけでした。
 分析されたところでは、そこに働く一人一人の言葉に耳を傾ける、それだけで従業員の方々は、自分たちが尊重されたと受け止め、働くさらなる動機付けが強まり、生産性が向上したということだったのです。

 また、こんな話も有名らしいです。
 もくもくとレンガを運び、教会を作っている人々がいる。
 暗い顔をしてレンガを運ぶ一人に声をかける。何をしているんだい?
 男は答えた。みりゃ分かるだろ、レンガを運んでいるんだ。
 もう少しましな顔をした男に声をかける。何をしているんだい?
 男は答えた。みりゃ分かるだろ、教会を作っているんだ。
 そして、軽い足取りでレンガを運んでいる男に声をかける。何をしているんだい?
 男は、輝かしい笑顔で答えた。
 神様に仕える仕事をしているんだ!


 大橋とは、最後、依頼者に喜んでもらえるのが一番だよね、という話をよくしてきました。
 でも。それでは曖昧です。
 もう少し、具体的な目標、「神様に仕える仕事をしているんだ!」と笑顔で答えられるくらいの言葉は見当たらないのかという話をしていました。
 結果。
 午前1時ころ、ノストラにて導き出された言葉。
 「依頼者の正義の実現のために」
 
 この思いを価値基準として事務所の皆が共有できれば、じゃあ、そのためにはどうしたらいいのか、「実現」のためには私たちは何が出来るのか、何をすべきなのか、何がまだ足りないのか、という発想で、価値を次の行動に落とし込めます。
 
 「サルでもできる弁護士業」ではこの業界はぼろくそに表現されています。
 確かに、「弁護士の常識、社会の非常識」ということは多々あると思います。
 そんな中、下をみるのではなく、上を向いて、私たちは何のためにこの仕事をしているのか、何のために事務所を開いてい働いているのか。原点として、今の立ち位置を確認し、少しでも上に行けるように努力していこうと語り合いました。

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 幸いにも数十件の仕事を抱え、暇なわけではありません。しかし、「忙しい」は怠惰の理由にはなりません。
 「依頼者の正義」を「実現」するために。

 訴訟だったら、手続きの流れでいやがおうにも進み、判決という形で結果がでるので、その中で弁護士、訴訟代理人としてやるべきことというのはある意味、明らかです。
 しかし訴訟手続きではない、交渉ごとにこそ、この「実現」のための底力が必要とされるように思います。

 つくづく思うのは、「訴訟」って、原告にとっても、被告にとっても、あまりいいことがないということです。費用、労力、時間、そして何よりもお金。これはつまり、弁護士への着手金、成功報酬です。
 しかも。三審制です。とことんやったら2年は要します。勝てばいいというものではありません。
 こんな無駄をいかに回避するのか。

 相手方が、ある意味、頭のいい相手方であれば楽です。訴訟回避という点で利害が一致する、共通認識を持てるからです。裁判結果のみとおしがつくようなら、共通の言語で会話ができます。
 でもそういう相手方ばかりではない。そんなとき、こちらの底力が試されるのだと思います。
 交渉ごとは、相手方の理解から始まります。
 さっさと訴訟に手続きを移した方が弁護士としては、楽です。正直なところ。請求金額も増えます。
 
 でも。そんなとき。
 「依頼者の正義」、「依頼者の正当な利益」の「実現」、「確保」のためには交渉段階で最大限の努力を払いたいと思います。
 事件処理の迅速性も、そうです。
 「実現」するには、まず、とにかく、動くことが必要です。
 じっとしていても、誰も代わりには動いてはくれません。
 依頼者と弁護士しかいません。
 まず動く。
 相手方との共通言語を見いだす。
 そして、依頼者の正義を「実現」する。
 ちなみに、依頼者の正義って、相手方を叩き潰すことではありません。紛争関係者、皆が納得いく解決策を見いだすということです。難しい道だけど、その道を模索するということです。他の人が渡れないように、自分だけの利益を確保するために、自分だけが橋を渡り、その橋をぶっ壊すことではありません。そんなことをしたらその依頼者は、いつかどこかでしっぺ返しを受けます。相手方も然り。人の感情をなめてはいけないということ。

 そして。
 「グッド ジョブ」以上の、「グレイト ジョブ!」と声をかけられる。
 そして。100万円の成功報酬請求をしたら、90万円に値切られるのではなく、喜んで110万円を支払ってもらえるほどの仕事をすること。

 労働の喜び、達成感って、やっぱり人に喜んでもらうこと。
 弁護士、法律事務所としては、その社会での役割を考え、必死に尽くすこと。
 それしか、たぶん、進むべき道はありません。
 
 いかに稼ぐかということだけを考えたら、こんなに割に合わない仕事はないのではないかと思うこともあります。報酬をいただいても、時給にしたら最低労働賃金を下回るということももないわけではなく。
 それでも、この仕事をしているのは、やはりやりがいを感じるから。

 お医者さんのように、災害時、怪我した人を助ける、手当をするということはできないし、壊れた建物を安全な建物に建築し直すといったこともできないけど、「依頼者の正義を実現する」ということは、「法律、訴訟手続、言葉」を道具として、出来ることがある。これらの道具をつかって、いかに「依頼者の正義」を実現するか。
 そうです。実現するのは、「正義」と共感できる事柄であって、相談者の方であってもそこに「正義」を残念ながら見いだせない場合は、依頼をお断りしています。
 逆にいえば、私たちがご依頼をお受けしているのは、そこに「正義」が見いだせた相談者だけです。

 自分の、自分たちの、今の現実をみて、いろいろと嫌になることもあるけど、でも、前を向いてがんばってレンガを運び続きます。暗い顔をせず、明るく笑顔で。


 弁護士って、勤務弁護士ならプレーヤーとして最大限を尽くせばいいけど、独立して事務所経営をしていたら、当然、経営者、マネージャーとしての能力も試されます。
 同業者というだけでなく、共同経営者でもある大橋とは、いい事務所を作りたいねということで、事務所としての目標を確認しあいました。
 何を目的として「大阪ふたば法律事務所」が存在するのか。
 「依頼者の正義の実現のために」
 これを合い言葉として、体制を強化していきたいと思います。

 面白そうな本を昨日、本屋で見つけました。
「すべてのサービスは患者のためにー伝説の医療機関’メイヨー・クリニック’に学ぶサービスの核心」。
 読んでみます。経営者として。


 と、まあ、ぐだぐだ書きましたが、何事も人生、常に、struggleです。
 奮闘です。
 try&error です。
 挑み続けること、その過程を楽しむこと。
 それが出来ること、それだけで、幸せだと思います。
 ありがとうと感謝の気持ちが沸き上がります。
 いろいろと不十分だけど、日々、昨日の自分に勝てたか、ちょっとでも前進、奮闘しようと思います。
 戦っていることが楽しい!自分と戦っていることが、生きていること!負けて廃人みたいになることもあるかもしれないけど、生きている限り、またいつか立ち上がって戦う。自分との戦いを本当にやめたら死んでいるのと同じこと。

 大丈夫です。躁ではありません!
 
(おわり)
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January 12, 2009

「他人の失敗から学ぶ税法」【松井】

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*しょこたんこと中川翔子さんなみのブログ更新頻度です(嘘)。本当は11日に作成しています。しょこたんの亡お父さん、中川勝彦さん、好きでした。「花の首飾り」、持ってました。


 東京で弁護士をされている方で凄い方がいらっしゃいます。
 税理士試験に科目合格され、公認会計士試験にも合格し、税務・監査の実務につきながら、司法試験にも合格して、現在、弁護士をされています。



 その方のホームページは情報公開も充実しています。
 昨年来、その方が主催するメーリングリストに加入させていただき、今にいたっています。
 もっぱら税理士の方々が主で実務の情報交換、切磋琢磨をされています。
 そこでの税理士、公認会計士の方々の議論を目にしていると、自分のアホさ加減が分かって非常に勉強になります。
 月4回、発言しないと登録を削除されてしまいますが、基本、資格のある方は登録自由です。
 弁護士業を実務として行う人々は、可能な限りこのMLに入れてもらって勉強すべきではないかと思います。
 
 だって。
 弁護士業をしていて税務と無関係で事件処理をすることってあり得ないから。
 民法の感覚、弁護士の感覚で税法を捉えると、大けがします。根本が違う。


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 公開してくれている情報でまず弁護士が読むべきレジュメ
 「他人の失敗から学ぶ税法」
 http://homepage1.nifty.com/msekine/
 
 弁護士が税法の無知のため、あるいは確認ミスのために事件処理をしくじり依頼者に損をさせている事例が山盛りです。
 ここぞというときは税理士の方に確認しますが、そもそも税理士の方に確認すべきだったという発想すらないときにミスが起こります。
 後の祭りで取り返しがつかないですよ。相続税の事例だと金額も大きくなりがちですし。まさに他山の石。

(おわり)

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January 11, 2009

「裁判」の目的〜筆跡「鑑定」〜【松井】

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*左から3つ目。事務所ビルの外観です。小洒落ています。川沿い、最上階、眺め良し!です。


 昨年平成20年11月27日、大阪高等裁判所において、京都の鞄屋さん、一澤帆布社に関する判決がありました。新聞の社会面でも記事が掲載されていたのでご存知の方は多いかと思います。
 この判決書を読み、「筆跡鑑定」というものについて素朴な疑問をもたれた新聞記者の方から、意見を聞きたいということで年末、取材を受けました。取材を受けたというか、記者の方の素朴な疑問を聞く機会を得て、こちらの方が学ぶことが多かったです。
 こういう機会があると、自分の今いる世界、やっていることが当たり前だとは思わずに、多くの人の率直な、素直な意見に敢えて耳を傾けることは大事だなとつくづく思いました。そうでないと、依頼者の方とうまく意思疎通がはかれなくなってしまいます。



 今回の裁判においては、双方互いに、複数のいわゆる「筆跡鑑定書」というものがとびかっていたようです。これは刑事事件における精神鑑定においても珍しいことではありません。
 ということもあり、弁護士である自分にしてみれば、結論の異なる「鑑定書」が出ていても、ふーんというだけのことであり、そもそも他の文献、裁判官が「筆跡鑑定」をどうとらえているのか、そもそも裁判所は「鑑定」というものに対してどう接しているのかという実務を踏まえれば、裁判所が、遺言が有効か否かが争われているときに「筆跡鑑定」の結果だけで結論を出すことはまずない、ほとんどないという前提で、特になんとも思わないところでした。
 しかし、記者の方は、「鑑定」というからには、判断方法、判断基準が確定されている科学的、客観的なものなのではないか、それが、以前の判決では、遺言は有効とされ、今回の高裁判決では無効とされる、「筆跡鑑定」っていったいなんなのですか、ということでした。
 これが素朴な意見なのだと思います。

 今回、勝った方の一澤信三郎帆布の方でも、「筆跡鑑定」に対する、そもそもの信頼とその信頼の揺らぎについてそのHP内で触れられています。

 http://www.ichizawashinzaburohanpu.co.jp/cgi-bin/topic.cgi?m=0&i=20081128000

「それなのに、敢えてあきらめずに、裁判に訴えたのは、「悪いことをして、それが通ってしまう世の中ではいけない」と思ったからです。
 また、これほど科学技術が進歩した現代社会で、筆跡鑑定という分野が、学問的にまだ十分に確立されていないことを、今回の裁判で初めて知りました。
 私達の訴えが、世の中の筆跡鑑定というものに警鐘を鳴らし、筆跡鑑定がきちんとした科学的な学問になり、ひいては筆跡学学会が立ち上がることにつながればと願っています。そしてそれが、偽造文書で誤った裁判がなされて、つらい思いをしてこられた方々への一助となれば、本当に嬉しく思います。」



 たぶんわたしをはじめ、多くの弁護士は、「筆跡鑑定」というものの証拠としての信用性については多くを期待していないのではないかと思います。にもかかわらず、なぜ、裁判で「筆跡鑑定」というものが登場してくるのか?
 筆跡鑑定を生業とされている方には失礼な表現になるかもしれませんが、わたしは「気休め」と表現しました。
 「鑑定料」を支払う経済的な余裕があり、それを証拠として提出することを望む依頼者の方の意向でしかないのではないかと。
 訴訟代理人たる弁護士が、遺言無効確認の訴えで、切り札として「筆跡鑑定書」を出すなどということはまずありないと思います。その時点で、負けを認めるようなものだと思います。
 この点については、次の文献を記者の方に知らせました。わたしの経験上のものは、これらの文献の大方と合致します。
  ・法曹会「民事訴訟における事実認定」
  ・判例タイムズ1247「効果的立証・検証・鑑定と事実認定」
  ・判例タイムズ1194、1195「遺言無効確認請求事件の研究(上)」「同(下)』
 遺言が有効か否かが大きな争点となる裁判においては、裁判所は、遺言書作成に至る種々の事情、人間関係、状況、被相続人の性向等まで考慮して、一つの事実の認定として、遺言が有効か否かを判断するのがおおよそです。
 


 今回の大阪高裁判決も、判決書全文を目にする機会がありましたが、同様です。
 ただ、多くの「筆跡鑑定書」というものが入り乱れていたこともあるのか、各「鑑定書」に対しても、かなり詳細に触れています。判断の仕方、そもそも比較する文字の選出の仕方に基準があるのか否かといったことについても触れられています。
 そして、鑑定書の結果にこだわらず、他の諸般の事情を鑑み、今回問題となっている遺言書が、作成名義人である被相続人によって自署されたものか否か、その意思に基づくものといえるのか否かが判断されています。



 余談ですが、ここで興味深いのは、民事訴訟法的に、最高裁判所がどのように判断するかという点があります。つまり、既に確定した別の訴訟の判決では、今回問題となっている遺言書は有効と判断されています。
 これに対し、今回の大阪高等裁判所は無効と判断しました。
 どういうことか?新聞でも報道されていましたが、当事者が違うのです。前回は、相続人たるご主人が、今回は株主たる奥様が、同一の遺言書を巡って無効を主張し、前者は敗訴、後者は今回、勝訴したのです。
 このような争い方が許されるかどうかということです。
 これは、そもそも遺言無効確認訴訟が、遺産の範囲確認の訴えのように、最高裁判決で、固有必要的共同訴訟とされていないことに原因があります。つまり、争う人は、最初から皆当事者として原告か被告にならないとだめだよ、ということです。
 訴訟の目的は、一般的には、確定判決による紛争の終局的解決にあるとされています。
 今回のように二度も三度も同じ、争点で争えるとなったら、訴訟の解決機能が損なわれます。
 この点を最高裁がどう判断するのか。
 また、もしかしたら「筆跡鑑定」というものに対しても一定の見解をしめすのかもしれません。それは上告、上告受理申立書の内容にもよるかとは思いますが。



 そして。興味深いのは。
 裁判の目的に対する、今回の当事者の方の考えです。
 相続人である一澤信三郎さんの考えは、上記に現れているのだと思います。
 「悪いことをして、それが通ってしまう世の中ではいけない」
 お金の問題ではないということだと思います。
 
 こういう相談者の方に対しては、わたしは弁護士としては、裁判は、必ずしもそこで正義がとおる、真実は一つとは限らない、裁判は証拠に基づく、証拠があってもその評価は裁判は裁判官しだいの面もある。だから。三審制がとられているんですよ、と説明します。
 費用対効果、経済的合理性に欠ける訴訟に突入しようとするとき、止めた方がいいと勧めたうえで、それでもと仰るときは覚悟してもらいます。

 ただ。よく考えると、とはいえ。
 弁護士も同じです。
 人間です。感情があります。
 訴額40万円で提訴された方の訴訟代理人を割に合わない費用で受任することもなきにしもあらず。
 なぜか?
 おかしい、許せない、という思いが沸き上がるからです。NOVAのあの平成19年4月の最高裁判決の訴訟代理人の弁護士がいい例だと思います。
 訴訟代理人を受任するからには、出来れば和解で終わるのが依頼者のためになるという思いが常にあるのは当然として、和解をするにしても、勝訴的和解を考える以上、最大限の力を注いで、勝ちにいきます、当然。勝ってやる!と思ってやっています。
 メラメラと戦闘意欲に燃えます。
 このとき、確かに、訴額40億円という訴訟と訴額40万円という訴訟では、正直なところ多少、なんらかの差はあるかもしれませんが、40万円だからといって手を抜くという弁護士は、いないのではないかと思います。
 なぜなら。
 弁護士は。
 自分の名前で仕事をしているから。

 つまり。
 自尊心、プライドが高くならざるをえない。
 自分が訴訟代理人となって名前を出している裁判で敗訴判決なんて得たくはありません、普通。
 
 裁判の目的は。やるからには勝つことです。
 で、「筆跡鑑定」なるものは、ないよりはまし、依頼者の方が費用を支払う余裕がある、それを得ることを望んでいるという場合に、攻撃方法の一つとして、わたしなら気休めですが、提出する証拠の一つに過ぎない、ということだと思います。
 ないよりはあった方がましかな?という。
 でも、たぶん、あっても、なくても決定的な違いが生じることはほとんどない、という位置づけとわたしは考えています。
 
 で、記者の方も仰っていましたが、筆跡鑑定の学会は出来ないのか?多分、出来ないとわたしは思います。
 シロかクロか、曖昧なところだからこそ現在、なりたっている世界だと思うからです。
 科学的だとも言い切れない、科学的でないともいいきれない。これに敢えてシロクロ付けようという当事者の方が現れれるか否か。出現の期待はしていますが、統一しきれないのではないかと思います。
 誰も皆、自分の存在価値を否定されたくはないというのが通常だと思います。
 「筆跡鑑定人」に限らず、「弁護士」も同じです。
 でも、もしかしたら。
 数年後。「弁護士」の存在価値も否定され、雲散霧消している可能性も否定はできませんね。
 刑事弁護人だけで十分じゃん、弁護士なんて、という時代もあるかも。
 裁判なんて誰でも出来るよ!って。
 そもそも裁判制度がなくなることはあり得るんでしょうかねえ。ぶつぶつぶつぶつ。
 憲法改正か?
 なぜ裁判制度が憲法で定められているのか?
 そこまでいかなくても、調停、仲裁がどんどん利用されていくのか。
 どうなんだろう。

(おわり)
*茂木健一郎さんのブログではないけど、頭に浮かんだこともそのままに流れもつらつらと書き留めています。つまり。推敲していないので、話があっちへいったりこっちへいったりとまとまりがなくてすみません。
*しかも。今回、前に大橋のブログが!ただ、一応、週に2つをノルマとして自分に課しているので大橋と同じ日になるけどアップします。 

*四日市の諏訪神社です。私の遊び場でした。
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新年雑感-国連死刑廃止勧告・動かぬ日本政府・ピンと来ない法曹【大橋】

 2009年新年が明けました。
 本年もよろしくお願いいたします。

 既に松井も書いているとおり、2人とも3日からの事務所入り。
 私は13日提出期限の訴訟の陳述書案作りに勤しんでおりました。労働事件で事案複雑、かつパソコンメールをされない方なので、完成までに郵送2往復を見て日数ぎりぎり。
 新年一番の仕事としてはなかなかやり甲斐がありました。

*~*~*~*~*

 年末に向けては、「派遣切り」が大きく問題化し、労働関係の弁護士団体も「なくせ!ワーキングプア」と題する企画を組みました。当事者の方々のお話を聞けば、「派遣さん」と呼ばれ、派遣先会社が必要ないと思えば仕事がなくなる不安定さと非人間的な扱われ方に憤り、「労働者派遣法はなくすべきです」という訴えには強い説得力がありました。
 (登録型派遣で働くということはそういうリスクがあるのはわかっていたはずだ、という意見も出てくるものですが、じっくり正社員就職の活動をする経済的な余裕がない場合が多いはずです。雇用保険制度の不備(あるいは「雇用保険に加入していないのは会社が悪い」ということを知る機会がなかった)、生活保護の運用の狭さの問題は大きいです。)

 また、生活保護支援関係のMLでも情報が忙しく飛び交いました。年末の「年越し電話相談会」企画とその後の生活保護申請フォロー、申請を年末にしてもすぐに決定が出ないので、その間をどこでしのいでもらうのか、等。

 東京の「派遣村」が日比谷公園という行政官庁の目と鼻の先で大きく営まれ、厚生労働省の講堂を開放させたり、生活保護申請時に一時金を出させたり、各区に5日ほどの審査期間で開始決定させたり(通常は14日ないしそれ以上かかるのが実状です)、目を見張る成果を勝ち取られました。
 多くの方々の正月返上の働きあればこそですから、本当に敬服します。

*~*~*~*~*

 さて年明け。この2日間で「死刑」に関して考える機会が3回もあったのです。

*~*~*~*~*

 1月9日、靖国神社と国に対して霊璽簿からの氏名抹消と損害賠償を請求している「合祀イヤです訴訟」の関係者の新年会があり、原告のお一人、高松の福善寺住職・釈氏政昭さんとお話しする機会がありました。
 (私は小泉首相靖国神社参拝違憲訴訟の松山訴訟の代理人となり、そのとき以来、釈氏さんと懇意にさせていただいています。)

 釈氏さんは以前からさまざまな市民運動に関わっておられますが、死刑廃止運動にも取り組んでおられて、たまたまこんな話になりました。
 「国が人を死刑にするということは、『お前もうダメだ』と国が決めて、いくらその人がやり直したくても殺してしまうということだ。人はいつかはふと気づいてやり直すことがあるはずだと思う。その機会を与えないのはおかしい。
 人が国から『お前は役に立たない』と決められて命を奪われる。それでは人は安心して呆けることもできない」
 (以上を温かみのある讃岐弁で話されました。正確な再現ができないのが残念です。)

 釈氏さんは対話の人です。靖国に祀られてこんなにありがたいことはないと強く信じている遺族とも、対話したいと願っています。
 こうしたふところの大きさを、私は敬愛しています。
 そして、こうした人への温かさ、見捨てない気持ちというか共感というか、そういったものが社会には絶対に必要だと思っています。
 (昨年の近弁連シンポ「罪をおかした人の更生保護と弁護士会の役割」もそれがテーマでした。)

 しかし、死刑宣告と処刑は、これに鋭く対立していると思います。

*~*~*~*~*

 1月10日、「派遣切り」に反対する「なんば連続行動」という3日連続の路上企画の初日に2時間弱参加。
 
 寒い中でなんとなく雑談をしていますと、ベテラン労組役員の人が言いました。

 「弁護士さんと話する機会やから、堅い話になるけど、今度、裁判員制度が始まるやろう?あれで呼び出されたら、『死刑を言い渡せるか』とか聞かれるらしいねぇ。裁判員をやりたかったら、意に反して『言い渡せます』と言わなかったらあかんのか?」

 そんな報道もありました。もろに「死刑を言い渡せるか?」という質問はまさかしないと思うのですが、難しく言われてもよくわからないから平たく説明してくれと言われれば、裁判所はそのように聞くかも知れませんね。
 「裁判員をやりたくなかったら、死刑に反対ですと言えばいい」という方向での話は、半分ジョークのようにして語られています。

*~*~*~*~*

 同じく10日の晩。アムネスティ・インターナショナル日本死刑廃止ネットワークセンター大阪の主催、NPO法人監獄人権センター(CPR)の共催で、「世界から見た死刑執行をやめない日本~国連自由権規約委員会・日本の人権状況審査の報告~」という企画に参加しました。
 国際人権法の村上正直先生、CPRの秋山映美さん、いずれも以前に交流を持たせていただいた方で、講演をぜひ聞いてみたいと思ったのです。

 日本は国連の国際人権条約自由権規約を批准していますので、国連から国内の人権実施状況について審査を受けることになっています。
 1993年の第3回定期報告書審議で、国連自由権規約委員会から日本に対する「最終見解」が出され、いわば宿題が出されました。国内の差別問題(在日韓国・朝鮮人、アイヌ、部落、女性、婚外子など)の改善、戦後補償としての年金差別解消、死刑の多数さの改善、被収容者の処遇の改善などです。

 1998年、第4回定期報告書審議で、また「最終見解」が出されました。「・・その勧告が大部分履行されていないことを、遺憾に思う」という恥ずかしい総評がされました。それから、また追加として、人権擁護機関の不存在の問題、婚姻での男女差別、永住者への再入国許可制度の適用問題、人身取引対象とされた女性等や性的搾取を受けた児童の保護、自白の強要や検察の証拠不開示問題などが勧告されました。

 そして2008年、第5回定期報告書審議があり、また「最終見解」が出されました。「委員会は、締約国の第4回定期審査後の見解で発出された勧告の多くが履行されていないことを懸念する。」というまたまた恥ずかしい総評です。そしてまた追加として、従軍慰安婦問題、外国人研修制度の問題、難民認定制度の問題、戸別訪問禁止などの表現の自由と参政権に対する不合理な制限の問題、性的マイノリティに対する差別、アイヌ及び沖縄の人々の先住民族性の否認などの問題が「要改善リスト」に加わりました。

 中でも死刑問題については、第4回最終見解では「日本が死刑の廃止に向けた措置を講ずること」という勧告であったところ、今回第5回の最終見解では「世論調査の結果にかかわらず、締約国は死刑廃止を前向きに検討し、必要に応じて国民に対し死刑廃止が望ましいことを知らせるべきである」という勧告となりました。

 以上は、講演された大阪大学大学院国際公共政策研究科教授の村上正直先生のお話から一部を要約させていただきました。

 また、CPRの秋山映美さんからは、ジュネーブの審査で日本のNGOがどう日本国内の実態を訴えたかということと、審査員の審査での模様の報告がなされました。
 日本からは外務省担当者だけではなく、警察庁や法務省などの担当者も出向いたようですが、「日本ではこうなっています」という事実説明のみで、かみ合わず、審査員から強く言われても「??」という状態だったようです。

20090110

*~*~*~*~*

 私は、もう一昨年前になりますが、ホームレス問題について、社会権規約の政府報告書の取りまとめにあたる外務省人権人道局の方のセッティングで、厚生労働省と国土交通省の担当職員に集まってもらい、質疑応答の機会を持っていただいたときのことを思い出しました。参加したのは大阪弁護士会のホームレス問題部会員6名。場所は霞ヶ関の外務省でした。

 その時感じたのは、「外務省は内政の権限がない」という厳然たる縦割り行政の限界です。
 外務省はとりまとめに過ぎず、政府審査の期限が近づくたびに担当省庁に「進みましたか?」と聞いて結果をまとめるだけ。
 おそらく担当省庁は、外務省から「進みましたか?」と言われると、過去のファイルを引っ張り出し、前の担当者が書いたものをベースに現状報告を書いて提出するだけなのでしょう。要するに、ずっと政策として継続して取り組む体制になっていないようなのです。

 法務大臣がなんの躊躇もなく死刑を執行し続け、「法の適正な執行である」として問題意識がないのは、日本が国際条約を批准してその制約の下にあるということを思考から排除してしまっているのでしょう。

 それは、実はひとり法務大臣のみを、あるいは法務省のみを責める問題ではありません。法曹界(つまり裁判所・検察庁・弁護士会)が「国際条約(特に人権関係)」を日本の法体系の外であたかも「参考程度」にしか考えていないと言ってもよいくらい、一部でしか関心を持っていません。
 
 韓国の国家人権委員会のように、独立の機関が人権を担当し推進する機能を持たないと、現在の日本が人権の国際水準を満たすのは絶望的ではないかと思います。

 「世論調査の結果にかかわらず、締約国は死刑廃止を前向きに検討し、必要に応じて国民に対し死刑廃止が望ましいことを知らせるべきである
 政府がすべきこと、そして弁護士が大きく声を挙げるべきことはこれなのでしょう。
 「死刑執行停止」よりも「死刑廃止」と言い切った方がよいのではないかと。

 そして思うことです。
 死刑の対象となっているのは、既に国家機関により自由を奪われている力無き一市民です。
 彼・彼女にどういう環境を提供するのか。冷たい拘置所暮らしで改心の情など芽生える機会があるのか(有罪が前提ですが)。それでも「死刑」を宣告してしまうのか。
 結局、「国家による市民排除の論理」の象徴的な一つが、死刑制度ではないでしょうか。

 そして本年5月から、裁判員が死刑求刑の予想される事件の審理に参加します。
 裁判員にも期待します。「先例にならって」死刑の判断をしないでください。個々の被告人とよく向き合って、彼・彼女にこれから国が提供できるものは「死刑」だけなのかを考えてください。
 弁護人の力量も相当問われます。裁判への恐怖感あるいは諦めに固まっている被告人に、どう人間性を取り戻させるのか(有罪が前提ですが)。

*~*~*~*~*

 今日明日で、2通の書面を仕上げないといけません。
 その前にブログを、と思って書き出すとこんなに長くなり、またしばらくご無沙汰してしまうかも知れません。
 いろいろと見聞して、思ったことをまとめていくのによい機会なので、もう少しこまめに書きたいと、思ってはおります。

 

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January 06, 2009

あけましておめでとうございます〜虚業と実業〜【松井】

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「スタート」です!

 今年、早6日ですが、あけましておめでとうございます。
 今年もどうぞよろしくお願い致します。

 事務所は昨日5日からでしたが、大橋とわたしは、新年3日には事務所で初顔合わせでした。
 もちろんたまたまで、二人とも仕事をしに事務所に出てきていました。
 そして夜、一緒にご飯を食べて終わりました。

 そういえば、年末も27日土曜日、事務所で大橋に会い、夜、一緒にご飯を食べて終わりでした。
 大橋に終わり、大橋に始まる2009年です。だからどうというものでもありませんが。
 まあ、弁護士数人の共同事務所といっても、実際は個人商店が寄り集まっているだけで、お互い、どんな事件をしているのかもまったく知らない、バラバラの事務所もあるといいます。
 「大阪ふたば法律事務所」はそのような法律事務所ではないということで。

 年末、年始、どのような話をしたかというと、個々具体的な仕事の内容、相談、事務所のあり方、運営改善方策、よりよくなるにはどうしたらいいのか、何が足りないのかといったことです。
 二人とも、怖いくらいにいたって前向きです。

 以下、自分の備忘録的な徒然です。


 年末年始は、次の3冊を読みました。
■ G.K.チェスタトン「木曜日だった男」。
  推理小説ブラウン神父もので有名な20世紀初めのイギリスの作家の小説です。
  どうもこのあたりの推理小説がやっぱり好きで仕方ありません。
  この当時のものを読むと、現代の小説がスカスカに思えます。
  単なるストーリーだけじゃない、気の利いた表現がいっぱい出てきます。
  気の利いた表現をするには、膨大な知識、教養がなければ出来ません。
  みっちりと描きこまれています。

 あとの2冊は、本郷尚「心をつかめ!コンサルタント」と勝間和代「起きていることはすべて正しい」でした。
 本郷さんは大手税理士事務所を経営されている方、勝間さんはご存知のように公認会計士です。
 しかしお二人とも、税務、会計のことについては一切語っていません。

 それとは違う事柄について、それぞれの経験、知識に裏打ちされたことがらが書かれています。
 何について書かれているか。
 生き方について書かれています。
 単なる税理士ではない、単なる公認会計士ではない。
 仕事を通じた哲学についてお二人とも語っています。

 大橋には、本郷さんの本を薦め、早速、ざくっとですが目を通したようです。

 大橋とは、本郷さんの本について書かれていたことについて語っています。

 結局は。
 常に、現状で満足せずに高見を目指せということだと理解しています。
 高見を目指すということは、下をみて現状で満足することなく、常に、自分がどこにいきたいのかを考え、努力し続けるということだと思います。

 そんな御託本はいっぱいあります。
 本郷さんに勝間さんが偉いなと思うのは、お二人とも実践者だからです。
 いったいこの人は何をしてきた人なのだろうか?と不思議に思う方が御託本の著者だったりします。

 昨年来、考えているのは、「虚業」と「実業」についてです。

 弁護士業、というか自分がやっている仕事は、「虚業」か、それとも「実業」か。
 つまり。
 何かを生み出し、人の役に立っているのだろうかということです。

 「虚業」 iPhoneの大辞林では、「大衆をだますうさんくさい事業」とあります。

 弁護士って社会の嫌われ者だと思います。
 何にでも噛み付く狂犬と表現される方もいます。

 もしかしたらなくてもいい職業ではないかと時々思ったり。
 弁護士じゃないほうが、ものごとを交渉でうまく解決しているのではないか、とか。
 弁護士だと、ついつい最後は法廷で戦えばいいといった割り切りがあるので、無意味に高圧的に相手に接することがあるのではないかと思います。
 だから、たぶん。弁護士は嫌われるのだと思います。
 ときどき、宇宙から友好目的で舞い降りたのに、敵扱いされて言われなき攻撃を受けるエイリアンのような気分になることがないでもなく。
 確かに、訴訟となったら、たぶん皆、意地でも勝ってやると全身を燃え上がらせるのが弁護士だとは思います。
 しかし、訴訟を避けられるなら避けた方が依頼者の利益になることがほとんどです。
 こちらは訴訟を避けようと思っても、相手方が必要以上に肩に力を入れて防御的に対応したり、過剰に攻撃的に反応したり。
 なかなか難しいです。

 相手方に弁護士がついて、弁護士同士の代理人交渉となると正直、ほっとします。
 なぜなら。
 訴訟になったらどうなるのかという点について、共通認識を持てる可能性が高まるから。
 すると自ずと、和解の方向に進むことが多いです。
 なかには、依頼者を焚き付ける弁護士もいないわけではないかとは思いますが。

 そういう意味ではやはり、法律/訴訟って、外国語なのだと思います。
 言葉が通じたときの安心感のようなものを感じます。弁護士同士だと。
 ただ、それもまあ、最近は通じないことがあるという悩みを聞いたりもしますが。

 そういう意味では、やはり弁護士って、言葉の仕事なのだと思います。

 そうなると。
 目に見える形のあるものを生み出してはいないという点、虚業なのかなあと。
でも。

 喜んでもらえて、ありがとうと言ってもらえて、成功報酬を支払ってもらって、それで生活できています。
 幸せと思い、ありがたいと思います。

 皆様に感謝して、またこの1年、大橋、松井、スタッフ川上、美濃、アルバイトの山本さんで、「ありがとう」と言ってもらえる結果を目指してがんばりたいと思います。
 そして。この「ありがとう」をもっともっともっともっと増やしていきたいと思います。
 よろしくお願いします。

 本郷さんや勝間さんのように、税法以外のことを語れる税理士、会計・監査以外のことを語れる公認会計士ということで、法律・訴訟以外のことを語れる弁護士を目指そうと思います。
 つまり。
 虫の目だけじゃなくて、鳥の目ももてるように。
 そして、より多くの人の役に立つように。
 それがたぶん。
 存在意義です。虚業だろうが、実業だろうが。
  
(おわり)
そして、マツイのヨコク。
 今年のブログは、がんばって次回からは、総論ではなく、各論も語っていきたいと思います。
 自分に約束するために、予告!昨年末、筆跡鑑定について新聞記者の方から取材をうけました。昨年11月の一澤帆布の大阪高裁判決にちなんでのものです。その際、改めて資料を見返したり、取材記者の方との会話の中で考えたことを書き記したいと思います。


 塩澤一洋さんこと、shioさんも、民法、著作権法を専門とする大学教授でありながら、プロのカメラマンという多彩な方です。たかだか年齢二つ違いとは思えない、人間としての奥深さ。尊敬です!
 撮影 塩澤一洋さん http://shiology.com/
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