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October 14, 2006

「いま一度、死刑を考える~あなたが裁判員になる前に」報告【大橋】

「shikeiteisi.pdf」をダウンロード

 今日は、日弁連の主催する「死刑執行停止に関する全国公聴会」の第4弾、大阪公聴会が開かれました。
 これは、日弁連が「死刑執行停止法」の制定を求めるためのキャンペーン企画です。
 大阪公聴会は、テーマを「いま一度、死刑を考える~あなたが裁判員になる前に」としました。
 3年後の2009年からは、裁判員制度が始まります。
 我々弁護士など法曹関係者は除外されていますが、皆さんが裁判員に当たり、「死刑判決を言い渡すかどうか」を決める場面に立ち会うかも知れないのです。

 松井が小説家の高村薫さんの講演に行きたかったと残念がっていましたので、早速ですが高村さんの基調講演についてご報告しておきましょう。

 高村薫さんは、最近、死刑問題でのコメントを新聞紙上によく出されています。
 ほとんど外で講演することがない方のようですが、この企画には、人づてでの依頼で講演をお引き受けいただきました。

 高村さんの人柄についてですが、大変丁寧な物腰の、穏やかな方なのです。全然偉ぶるところなどありません。写真だと愛想のない感じに写ってしまうのがソンだなあ・・というのは私の感想です。

 そして、基調講演を45分間という時間でお願いしていたのですが、おそらくきっちりと組み立てをしてこられたのでしょう、全く言葉の無駄のない講演でした。この緻密さが小説の書き方にも反映しておられるのでしょう。

 そして、内容です。

1 まず、私たちは、死刑というものの実態について、何も明らかにされていない。知らない。しかし、裁判員制度が導入されれば、これを考えざるを得ない立場に立たされる。

2 そうなるのであれば、どうしたらよいか。できるだけ具体的に、死刑とはどういうものかを想像してみることである。
  私は臆病である一面、知りたがりで、死体というものがどのようなものかを知るため、大学の法医学教室に出入りしていた。また、親族の死に4回立ち会っている。病院のベッドの上で亡くなるという平和な死でも、やはり非日常的である。事件で死ぬ、あるいは刑死するというのは、もっと非日常的なこと。首に縄を掛けられて、下の板が落ち、体が垂直落下する。全身がけいれんするに違いない。目を覆うばかりの光景であるはず。
  その光景を想像して、どう感じるだろうか。
  核保有国は、核で戦争を抑止すると言いながら、実際の核の被害を知らない。それと似ているが、私たちは死刑が必要だと言いながら、実際の死刑の実態を知らない。
  今や、死刑廃止された国も多い。死刑がどのようなものかを知り、それが存置されるべき根拠(プラスとマイナス)を明らかにする必要があるのではないか。
  これまで日本で死刑の情報が何ら公表されてこなかったのは、あまりに残酷で公表に耐えないからではないのか?

3 次に、私が裁判員になったときのことを想像してみる。
  私はどうしても死刑を言い渡せそうにない。その理由は4つある。
 ① 死刑の基準が曖昧である。最高裁判決の基準に沿って、広島の女児殺害犯人は無期懲役とされたが、最高裁判決の基準に従う必要がないとして、奈良の女児殺害犯人は死刑判決を受けた。裁判官でもこれだけ判断が違う。裁判員は何を根拠に判断すればよいのか分からない。
 ② 刑事裁判の判断は難しい。被告人が否認し、状況証拠しかないとき、有罪か無罪かさえ判断に迷う。そのとき、裁判員は有罪かつ死刑判決まで出してよいのか。
 ③ たとえ明らかな「死刑事案」であったとしても、なぜ裁判員であるからといって私が死刑を言い渡すことができるのか、それが納得できない。
 ④ もし判断が間違っていたとき、どうするのか。一市民が民事ではなく刑事の裁判に駆り出されて、死刑判決の重荷を背負わされる。一生忘れることのできない経験として残る。一市民を刑事裁判に駆り出すというのなら、せめて、死刑は廃止するか停止するかしてほしい。

4 最後に、死刑制度は誰のためにあるのかを想像してみる。
  死刑存置派の人も多いが、これは消極的存置賛成ではないかと思う。反対派が「人道上の理由」を言うと、「では被害者の気持ちはどうなる」という反論に答えきれない。
  現状は、死刑とはどのようなものかを知らされていないから、議論も抽象論にしかならない。抑止的効果が言われるが、これも抽象論である。死刑には、再審というやり直しの機会がセットであろうが、この門戸も大変狭い。
  それでは、誰のためにあるのだろうか。
  被害者遺族のため、という議論がある。しかし、それは違うと思う。被害者遺族が負うのは、喪失感である。喪失感を一時的に埋めるなぐさめになるのが、「犯人に対する怒り」である。しかし、犯人が死刑により存在しなくなると、後にはやはり喪失感が残るだけである。私はそのことを阪神大震災を機会に考えるようになった。
  それでも、被害者遺族の一時的ななぐさめのために死刑は必要だ、と考えるかどうか。私は、死刑は「法律のためにある」としか考えられない(人のためではない)。そして、死刑判決・死刑執行は時の政府の考えで方針がコロコロと変わってきた。人の命がこのようなことで生かされたり殺されたりしてよいのか。
  「国民感情」という議論もある。しかし、「人の噂も75日」である。忘れないのは被害者遺族である。しかし被害者遺族は先に述べたように喪失感こそが問題。

 ・・概略、このような問題提起でした。

 大阪公聴会が掲げたテーマに沿って、「裁判員としてあなたはどう考えるか」を深く考察していただきましたが、会場も緊張し集中してこの講演に聞き入っていました。

 本当に、裁判員裁判で死刑事件を取り扱うということは残酷です。一市民である裁判員6名が、協力して、被告人を死刑台に送る役割を果たすことになるのです。
 奈良の女児殺害事件の被告人は、控訴を取り下げてしまいました。「自分たちは死刑判決をするが、また控訴審で審理してもらえるからいいだろう」ということには必ずしもならないのです。
 裁判員制度導入の前に、死刑をぜひ停止(できれば廃止)するべきだと思います。
 死刑事件について「必要的上訴制度」を導入すること、即ち必ず控訴審上告審で判決をチェックすることも、経過的に導入が検討されるべきだと思いました。
 

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Comments

もう10年以上前ですが、海外で死刑の映像をテレビのニュースで見たことがあります。
死刑囚は自分の執行を放送することを望み、米国の裁判所はそれを認めてテレビで放映されました。
ガス室で毒ガスが充満する中、椅子に縛られた死刑囚は時々わめきながら何分もの時間が過ぎ、その後透明の管から出てきた黄色っぽい色のガスを吸い込んで数秒後にはうな垂れて、その状態から数十分放置された後に死亡を確認し、死刑執行は終了したと記憶しています。
映像では本当に人が死んだという実態は伝わってきませんでした。死んだと報道しているから、そうなんだと思うだけでした。

「知らないところで・・・」を読んで、運転免許講習を思い出しました。それまで見たことのないような悲惨な交通事故写真を見せられた後に、免許証は交付されます。
市民は死刑を知る権利があるでしょうが必要があるかは疑問です・・・裁判員と刑事事件の関係者にならない限りは・・・

 市民Aさま、コメントありがとうございます。
 死刑囚本人に死刑時期や方法を選択させるというご提案、私も考えたことがあります。刑事施設では自殺の自由はないのです。ある日法務大臣の決裁で殺される日が決まり、朝執行すると言われてそのまま連れて行かれるといいます。なんと他動的なのでしょう。
 もし再審請求の意思なく、贖罪のために早く死にたいという死刑囚の真意があるとき、今の殺し方よりは死ぬ日を自己決定する方がまだ人間らしいのでは、と・・
 真面目に人権の部会で話したら、いずれにしても後処理をする刑務官は後味が悪いのでは、と言われました。それはそうです。
 被害者感情を尊重しての死刑存続なら、被害者遺族に死刑を公開し、さらに自らの手で死へ導いてもらうのが筋でしょう。そこまで徹底した議論はまだ出てきません。「知らないところで殺される」から死刑の持つ重みが軽く考えられるように思えます。
 まとまらないコメントですみません。

抜粋を読んで感じたことですが、求刑と量刑が死刑に限らず曖昧であることが、まずは問題なのだと思います。
自分が裁判員になったとき、窃盗罪で「10年以下の懲役・・・」だけでは全く判断できないわけで、さまざまなケースでの情状も含めたデータベースを裁判所から教えていただかなくては、どんな裁判でも市民が判決を下すことは困難だと考えます。 

それも踏まえて市民が死刑判決を下すことが困難なことなのか? そして誰のための死刑なのか? 死刑は結果として被害者に対する報復でしかありえないと私は思います。 広島や奈良のような事件を我が子に置き換えたとき、死刑を望むより罪を犯してでも自分で加害者を殺したいと望む親も少なくないでしょう。 「喪失感」という静的な感情にいたるまでに、どれだけ苦しい動的感情に人生を苛まれるかを想像したとき、一市民であっても死刑の判決を下すことは困難ではないと思います。

多くの人が絞首刑に残虐性を感じるのであれば、死刑囚への最後の人権尊重として死の手段や執行日などを自分で決定させることが出来れば、与える方も多少は気が楽なのでは?

「必要的上訴制度」も裁判員制度が当たり前に感じ、判例も市民が常識として持つようになるまで(最低でも10年はかかるでしょうが)は、重要な制度になると思います。

 まついさん、ビョークの「ダンサーインザダーク」は見たことありますよ。ミュージカル風に進む進行、感性に訴える演出。感性に弱い私には「ああ、よかった」とストレートに言えない複雑な気分でした。でも、かなり印象的でした。

 高野さま、裁判員制度自体を問題視する意見ももちろんあります。ブログでお書きになっている危惧はよくわかります。ただ、絶対に悪い方にしか進まないのか(例えば、死刑廃止論者は多数意見が死刑でも死刑に1票は投じないでしょう)、重罪が対象であるだけに自ら重罰を下すことに慎重になるのではないか、そういったこともあり、私の意見は定まっていません。ともあれ、死刑判決を市民に下させるという設定はあまりに酷だと改めて思いました。

 ラース・フォン・トリアー監督で、ビョークが主演した「ダンサー・イン・ザ・ダーク」という映画を思い出します。 刑事裁判と死刑というテーマでは。 もしまだ観ていないようでしたら、ぜひ!
 実学書ばかりで小説を読まないと人間としての想像力が育たないといったことをアタック25の司会で俳優の児玉清が新聞の対談で言っていました。
 小説家、高村薫は、やはり凄いですね。ポイントを突いている。そう。死刑の実態について、刑務官の裏ネタ本のようなものは出ているけど、当事者からの情報が開示されていない。
 適切な情報開示のないままに、制度の○×の判断を迫られたり議論をしようとしても、それは違うという話し。社会の役割分担としては、「ジャーナリスト」と呼ばれる人たちの使命なんだろうけど。
 にしても、ロシアは怖いね、やはり。政府批判で著名な女性ジャーナリストが暗殺されてる。

 私は、そもそも裁判員制度自体が間違っていると考えております。というのも、この制度の決定経緯は国家権力のオール与党化(国会全会一致、司法権力や日弁連も協力、メディアは一切批判しない)という超のつく暴力的手法でした。死刑制度云々をいうよりも、「あなたが裁判員になる前に」以前に、裁判員制度そのものから考え直すべきではないでしょうか?
 町田長官の退任挨拶で、七割もの市民が敬遠する裁判員制度を「国民の期待」と述べるに至っては、あきれて物も言えません。

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